カヒミ・カリィ

ジャンル:
カヒミ・カリィ プロフィール画像

カヒミ・カリィのバイオグラフィー

Japanese Diva

カヒミ・カリィ(Kahimi Karie、 1968年3月15日 -)は、栃木県宇都宮市出身のミュージシャン。

初期はコーネリアスこと小山田圭吾が全面的にプロデュースを担当していたが、小山田との離別を機にサウンドが変化。
1968年~1990年

・1968年3月15日、沖縄(父の転勤先)にて、日本人の父とハワイ系日系人の母との間で生まれる。引越しを度々繰り返す。

・初めて買ったレコードは「小さな恋のメロディー」のサントラ(特に「一日中踊ろう」がお気に入り)。高校の頃にはセルジュ・ゲンズブール、ミカド、フランソワーズ・アルディ等にはまる。 (以上出典:「ロッキング・オン・ジャパン」1994年9月号)

・高校卒業後、家を出る。

・専門学校で写真を勉強。エドヴァン・デル・エルスケン、ウィリアム・クライン、サラ・ムーン等に影響を受ける。また、雑誌でカメラマンの仕事などをおこなう。この頃に小山田圭吾、瀧見憲司、加地秀基など、同じ趣味の知り合いができ、音楽活動をおこなうよう奨められる。




1990年
・フリッパーズ・ギター監修のオムニバス「FAB GEAR」で、嶺川貴子とのユニットFANCY GROOVEY NAMEにて参加。※このユニット活動は1回限りのみ。

・フリッパーズ・ギターのビデオクリップ集「LOST PICTURES」に出演

1991年
・10月:クルーエル・レコードのオムニバス「BLOW UP」に2曲提供し、カヒミ・カリィとしてソロデビュー。 ※カヒミ・カリイ(=KAHIMI KARIE)とは、本名のアナグラム(アルファベットの入れ替え)。

1992年
・12月:小山田圭吾プロデュースによる1stマキシシングル「MIKE ALWAY'S DIARY」(クルーエル・レコード)発表。 ※当時のEP(レコード)では、「精神とスタイルが結びつき、そしてスターが誕生する」とのキャッチコピーで紹介される。

1993年
・3月:オムニバスアルバム「HELLO YOUNG LOVERS」に参加(クルーエル・レコード)

1994年
・6月:2ndマキシ「Girly」(クルーエル・レコード)発表。インディーズとしては驚異の7万枚を突破。  渋谷系のプリンセス、フレンチ、ロリータ、ウィスパーボイス云々…等の形容でメディアに取り上げられるようになる。

・雑誌「Cutie」9月号「ホットな二人のラブラブファッション」特集にて、当時恋人だった小山田圭吾とのセクシーなシャツ姿のツーショットがファンの間で話題に。黄金カップルぶりを強く印象づける。

1995年
・1月25日:ポリスターレコードのトラットリア・レーベルより「MY FIRST KARIE]、クルーエル・レコードより「I am a kitten」発表。※日本初のメジャー&インディーズからのマキシ同時発売。 ※この「I am a kitten」(モーマスプロデュース)のパリレコーディングにより、フランスへ住みたいと思い始めるようになる。

・3月:ISSEY MIYAKEのニューブランド「K-ZELL」のパリコレクションに出演。

・7月:マキシ「彼らの存在」発表。ムッシュかまやつ、伊武雅刀とのデュエットを披露。※「まじめに愛して!」(ジェーン・バーキン主演)の危うい三角関係を意識した、架空の映画音楽集。

・「GOOD MORNING WORLD」のPVが香港MTV95年度女性アーティスト・ビデオ・クリップ賞を受賞




1996年
・森永「ハイチュウ」のCMに出演&音楽(「ロワ・ソレイユ」)担当

・「ハミングがきこえる」(作詞:さくらももこ、作曲・編曲:小山田圭吾)がTVアニメ「ちびまる子ちゃん」オープニング曲に。新聞欄に批判が掲載されるなど物議を醸す。

・8月:パリへ移住。




1997年
・3月:1stフルアルバム「クロコダイルの涙」発表。 ※アルバムタイトルは、泣いていると思って近づくと、ガブリとやられる、という意味の諺。

・雑誌「BRUTUS」3月号にて、サム・ハスキンスによる撮り下ろし写真掲載。プリント、レイアウトもハスキンス自身がおこなう。

・TaKaRa「ハイフィールズ」のCMに出演&音楽担当




1998年
・アメリカMinty Freshよりベスト盤を発売。

※初のライヴツアー敢行。

・10月:「K.K.Girly Action Tour'98」北米などで全17公演。

・12月:「K.K.Girly Action Tour'98」東京、大阪で全3公演