カーネーション

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    カーネーション 「コズミック・シーのランチ・タイム」

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カーネーションのバイオグラフィー

カーネーション(CARNATION)は、日本のロックバンド。

1980年、東京造形大学にて美大生バンド「ほのぼのレイプス」を結成。
1981年、上記のバンドを母体として直枝政太郎(現・直枝政広)が中心となり、「耳鼻咽喉科」が結成される。
1983年、12月にバンド名を「カーネーション」に改名。音楽性がポップよりになったという理由から。名前の由来は耳鼻咽喉科の曲「花の運河で溺れたい」のサビより。
1984年、ケラが興味を持ち、ナゴムレコードからシングル「夜の煙突」(耳鼻咽喉科時代の曲)をリリース。ナゴム史上でも記録に残るほど売れなかった。
1986年、直枝とムーンライダーズの鈴木博文とのユニット「政風会」とのスプリット・アルバム「DUCK BOAT」を発表。
1988年、徳間ジャパンからメジャーデビュー。
1989年、森高千里のアルバム「非実力派宣言」に演奏などで参加、話題となる。中でも「夜の煙突」のカバーは評判となり、以後長きにわたって森高のコンサートでの人気曲となった。PVなどにも参加している。
1994年、コロムビアレコードに移籍、アルバム「EDO RIVER」がFM局などで評判となり、翌年のシングル「It's a Beautiful Day」がヒットする。
1997年、11月18日には初の渋谷公会堂ライブを成功させた。
2002年、棚谷祐一と鳥羽修が脱退。
2003年、所属事務所をソニー・ミュージックアーティスツ、レコード会社をcutting edge(エイベックス)に移籍。アルバムをCCCDで出すことに揉めた時期である。
2005年、「ハリケーン・レコーズ」を立ち上げる。
2008年、9月に新たに「カーネーション オフィス」を設立。
2009年、1月に矢部浩志が脱退。これを受けてサポートメンバーにタマコウォルズの中原由貴が参加。

初期の頃はポップに成りきらない音楽性から「和製XTC」、あるいは「ムーンライダーズの弟バンド」などと呼ばれることもあったが、5人組の黄金時代とも言えるコロンビア移籍後にキャッチーな曲を収録した『EDO RIVER』を発表すると、ラジオでオンエアされることも増え、シングル「It's a Beautiful Day」がスマッシュヒットする。その後もアルバムを発表するごとに音楽性を変化させ続けている。

2002年以降、メンバーが3人(現在は2人)になってからは、より骨太でロック色の強いバンドサウンド、人生を鋭く綴った歌詞、「大人のロックバンド」とは言わせないといわんばかりのタフなステージアクトで、幅広い層のファンから熱い支持を受けている。

現在のメンバー

直枝 政広(なおえ まさひろ 1959年8月26日 東京都出身):リーダー、ヴォーカル、ギター、作詞作曲。東京造形大学卒。1999年に直枝 政太郎(なおえ まさたろう)から本名に改名。
  1966年頃からレコード(G.Sや歌謡曲にはじまり、ヴェンチャーズ、そしてロック音楽)を聴くようになり、中学時代に2人組のバンド「APPLE」を結成、APPLEは英語詞のオリジナル曲を多数残した。ビートルズの『レット・イット・ビー』に影響を受け、銀座のビルの屋上で映画(自主)も撮影。高校時代は四人囃子やはっぴいえんどを演奏する「トド」という4人組のエレクトリック・バンドと、フォーク・デュオ「麻呂」を結成し活動。二浪後の末に東京造形大学に入学。音楽サークル「重音」に所属し、1980年にバンド「ほのぼのレイプス」、1981年に「耳鼻咽喉科」(メンバーには画家の徳永雅之、木工家の丹羽望らがいた)を結成、名前のせいでチケットが売れないというメンバーの意見や、音楽性がポップになったという理由から「カーネーション」と改める。
高校の同級生に映画監督の天願大介、一年先輩にギタリストの浅野祥之、従弟に映画監督の山本淳一がいる。大学時のサークルには、フライングキッズの丸山史朗、TOM★CAT、BARBEE BOYSの杏子がおり、同期には『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターデザインを手がけた貞本義行、後の後輩には草野マサムネらがいる。
尊敬していたムーンライダーズの鈴木慶一・博文兄弟の自宅にデモテープを送付したところ、鈴木博文から「遊びにおいでよ」と電話があり、メンバー全員で自宅を訪ねる。このことがきっかけとなり、博文と「政風会」を結成。1984年『陽気な若き博物館員たち』(徳間ジャパン)に直枝政太郎名義で「運河の兵隊」「トロッコ」を発表。1986年に政風会とカーネーション各4曲ずつを収録したアルバム『DUCK BOAT』(Switch)が発売される。1989年、モーリス名義で「BAD LOOKS」(メンバーはKAN、風祭東、清水淳)にも参加。上田ケンジ、豊田道倫らとレーベルBumblebee Recordsを主宰し、V.A.『墨堤夜景』(1999)、直枝政広『HOPKINS CREEK』(2000)などをリリース。
2007年に初の自伝的な音楽書『宇宙の柳、たましいの下着』(boid)を出版。

大田 譲(おおた ゆずる 1960年1月20日 鳥取県生まれ):ベース、ボーカル。京都産業大学卒。
青山陽一や西村哲也らとGRANDFATHERSで活動。解散後の1992年に加入。愛称はユルズ。
大学時代の同期に三原重夫(ローザ・ルクセンブルグ)、先輩に玉城宏志(マチルダロドリゲス)がいる。
坂本サトルや坂本真綾の楽曲に参加している。

脱退したメンバー

矢部 浩志(やべ ひろし 1963年12月21日 石川県生まれ):ドラム、パーカッション、作曲。
1985年加入。正確さと人間くさい温かさを併せ持つドラマーとして、広末涼子など数多くのアーティストのレコーディングやコンサートに参加。一方でメロディーメーカーとしてもセンスを発揮、ソロプロジェクトMUSEMENTを2007年より始動。
2008年9月から椎間板ヘルニアの治療に専念するため活動休養していたが、2009年1月末をもって脱退。本人曰く、脱退は肩書き上の変化に過ぎず、作曲活動に専念して支え合っていくという。趣味は映画鑑賞で、サイモン&ガーファンクルのファン。

棚谷 祐一(たなや ゆういち 1962年 茨城県生まれ):キーボード、ボーカル、作曲。武蔵野音楽大学出身。
1983年、関島岳郎(栗コーダーカルテット)や北田かおる(cornets、現妻)と共に結成した「ドレミ合唱団」で活動後、1987年加入、2002年脱退。
スピッツ、空気公団、セロファン、ゲントウキ、伊藤サチコ、坂本サトルなどのプロデューサー・アレンジャーとしても有名。脱退後はユニット「Dresser Animals」や「i-Co-i」名義で活動。現在は専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美制作表現コース講師。大のビール好き。

鳥羽 修(とば おさむ 1965年 東京都生まれ):ギター、作曲。
ユニット「モスキート」(現在は解散)で活動していたが、鈴木博文の紹介で1991年カーネーション加入。華のあるギタープレイで人気を博したが、2002年脱退。
アルバム「WILD FANTASY」にエンジニアとして参加。現在はバンド「タマコウォルズ」で活動する傍ら、青山陽一の一連のアルバムのエンジニアも務める。

馬田 裕次(まだ ゆうじ 1961年 福岡県出身):ベース、ボーカル、作詞作曲。多摩美術大学卒。1983年加入、1991年脱退。
耳鼻咽喉科時代からのメンバー。初期のいくつかの楽曲で作詞や作曲を担当している。

坂東 次郎(ばんどう じろう 1960年 北海道出身):ギター、ボーカル。多摩美術大学卒。1984年加入、1990年脱退。
現在はバンドウジロウ名義で音楽家、グラフィックデザイナー、ユニット「bandit」や「Pit Bit」などで活動。
THE BOOMのツアーなどに参加。フランク・ザッパやキンクスのファン。

徳永 雅之(とくなが まさゆき 1960年 長崎県出身):ドラム。東京藝術大学卒、同大学大学院修了。1985年脱退。
耳鼻咽喉科時代からのメンバー。現在は画家。バンド「連続協奏組合/RENKYO」のドラマー。「ムサシノep」のジャケットを手がけている。大学時代に所属していた軽音部にテルミン奏者の故・溝口竜也がいる。

小汲 哲郎(おぐみ てつろう):サックス。80年代に脱退。
耳鼻咽喉科時代からのメンバー。サックスを持っているという理由で加入。初期の楽曲や岡田徹の「海辺の名人」に参加し、脱退後も音楽業界で活動。

谷野 晃一(たにの こういち):キーボード。耳鼻咽喉科がカーネーションに改名した後に加入、「DUCK BOAT」製作前の80年代に脱退。