ザ・ゴールデン・カップス

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ザ・ゴールデン・カップスのバイオグラフィー

ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)は1966年12月、神奈川県横浜市でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズ。

メンバー

結成当初のメンバーは以下のとおり。脱退後、解散後の目立った活動は()内に。
デイヴ平尾(1944年11月17日 - 2008年11月10日)
本名:平尾時宗。リーダー、リードヴォーカル。
エディ藩(1947年6月22日 - )
本名:潘廣源(人名事典では潘の字で記載)。リードギター、ヴォーカル。
ルイズルイス加部(1948年11月5日 - )
本名:加部正義。ベース(エディ藩が脱退後はギター、後年、チャーに熱望されジョニー吉長と3人でジョニー、ルイス&チャー(後にピンククラウドと改名)を結成。
ケネス伊東(1946年1月1日 - 1997年3月2日)
本名:ケネス・イトウ(Kenneth Ito)。アメリカ合衆国・ハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世。リズムギター、ベース、ヴォーカル。
マモル・マヌー(1949年6月3日 - )
本名:三枝守。ドラムス、ヴォーカルだったが、再結成後はヴォーカルに専念することが多い。
その後、以下のメンバーが途中時期に在籍した。
ミッキー吉野(1951年12月13日 - )
本名:吉野光義。オルガン、ピアノ(後にゴダイゴのリーダーとして両バンドを兼務)。
林恵文(1951年5月11日 - )
ベース、藩が脱退後に加部と交代。
アイ高野(1951年1月12日 - 2006年4月1日)
本名:高野元成。ドラムス(カップス以前は「ザ・カーナビーツ」、以後は竹田和夫率いる「クリエイション」のヴォーカルとして、それぞれヒットあり)。
柳ジョージ(1948年1月30日 - )
本名:柳譲治。ベース、ヴォーカル(ソロでヒットを出し成功)。
ジョン山崎(1950年7月29日 -)
本名不詳。オルガン、ピアノ。詳細は不明だが、彼だけは公式サイトからプロフィールが削除されている。現在ホノルルで牧師として活動中(アロハ・バイブル・チャーチ)。

来歴

デビュー以前
1965年頃、既に横浜ではいくつものアマチュアバンドが結成されており、ダンスパーティーやイベントなどに活動の場を求めていた。平尾もそうしたアマチュアのひとりで、「スフィンクス」というバンドでボーカルを担当していた。「スフィンクス」と藩がギターを担当していた「ファナティックス」はともにアマチュアながら、当時の横浜を代表するバンドであり、東京から音楽関係者が足を運んで演奏を聴きに来たり、「ファナティックス」は芸能プロからのスカウトを受けていた。
1966年7月3日、平尾は単独でアメリカ旅行に出発する。昼間はレコード店巡り、夜はライブを見に行くという毎日だったようである。ほぼ同時期に藩も彼の父親に「旅行から帰ったら音楽を止めてコックになる」という約束で渡米していた。実際に藩は音楽シーンの見聞を広めることと、新しい楽器を買うためにアメリカへ行ったが、たまたま行っていたサンフランシスコのゼムのライブ会場で平尾と偶然に再会する。
1966年11月、平尾が帰国。高校時代の友人とバー「ゴールデン・カップ」を訪れた際、オーナーの上西四郎から「この店の専属バンドを探している」といわれる。こうして、スフィンクスはゴールデン・カップのステージに立ったのだが、当時最先端の音楽を生で触れてきたばかりの平尾には、バックの演奏が物足りなく感じた。そこで平尾は「人前に立つなら腕利きのメンバーを集めよう」と考え、アメリカで再会した藩を誘い、藩は伊東を誘った。当初はベースに伊東、ドラムスにジョニー野村を据える予定だったが、野村は既にプロモーターを志して国際基督教大学に進学していた(その後、野村はゴダイゴのマネージャーとなる)ため、平尾の渡米中にスフィンクスのボーカルを担当していたマモルがドラムスを担当し、マモルが同じ高校の先輩であった加部を誘った。
1966年12月3日、上記5人のメンバーで「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」としての活動をスタートさせる。
1966年12月10日、ゴールデン・カップに来店していた「ナポレオン党」(カミナリ族、現在でいう暴走族のはしり)を取材していたTBSの撮影スタッフの目にとまり、『ヤング720』でテレビ初出演をする。

デビュー以降
1967年6月15日、テレビ出演をきっかけとして口コミで評判が広がり、妹から話を聞いていた歌手の黛ジュンが、東芝音楽工業(東芝レコード、現:EMIミュージック・ジャパン)の関係者をゴールデン・カップに連れてきたことを足掛かりに、シングル『いとしのジザベル』でレコードデビューし、デビューと同時にバンド名を「ゴールデン・カップス」に改名する。同シングルは公称18万枚のヒットを記録した。なお、ザ・スパイダースのリーダー、田邊昭知も熱心にスカウトに来たが、黛ジュンとの話が先だったため、田邊昭知のスカウトは断った。また、彼らを混血グループという触れ込みで売り出しを図ったのは、当時の東芝音楽工業の意向だとされている。
1967年7月21日、東京のジャズ喫茶(ラ・セーヌ)に初出演。
1967年8月26日、第31回日劇ウエスタンカーニバルに初出場。新人賞を獲得する。
1968年3月10日、1stアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』を発売。
1968年4月1日、3rdシングル『長い髪の少女』が発売。オリコン14位、35万枚のセールスを記録し、一躍人気グループの仲間入りをする。
1968年7月8日、ビザの関係で伊東が一時活動休止(軍属であった父親が退職を決意したため)。吉野が加入。
1968年9月1日、4thシングル『愛する君に』が発売され、オリコン13位となる。
1968年10月21日、伊東が復帰。
1969年4月25日、藩と伊東がエディ藩グループ結成のため脱退。林がベースとして加入し、加部がギターにコンバートする。
1969年12月28日、加入前の山崎とルームというバンドを結成するため、加部と林が脱退し、マモルも作曲家の鈴木邦彦に熱望され、ソロ歌手になるため脱退する。
1970年1月1日、エディ藩グループと合併し、藩と伊東が復帰、マモルの後任には、同年9月に解散したザ・カーナビーツのドラマー兼リードボーカルであり、エディ藩グループのドラムスであった高野が加入(高野には、マモルが使っていたパールのドラムセットが譲られた)。
1970年8月31日、父親がカウアイ島で経営していたサーフボード店の後を継ぐため、伊東が完全に去る。
1970年9月1日、柳が加入。
1971年1月、吉野が脱退。以降、山崎加入までは4人編成で活動を継続。
1971年7月3日、山崎が加入。
1972年1月1日、ゴールデン・カップスとして最後の仕事となる沖縄のディスコティックでの演奏最終日、最後の曲となる『長い髪の少女』を演奏中、会場内で火災が発生し、柳のベース以外は機材をすべて焼失。
1972年1月2日、解散。

解散後
1972年10月5日、平尾が初のソロシングル『僕達の夜明け/一人』を発売。
1973年12月頃、同年春ころから断続的に活動を続けてきた「ママリンゴ」というバンド(メンバーは平尾、加部、柳)が、「デイブ平尾とゴールデン・カップス」名義で活動を開始。
1975年頃、平尾が俳優業を本格化させたため、、「デイブ平尾とゴールデン・カップス」を解散。
1981年12月5日、横浜シェルガーデンで行われたライブ『ゴールデン・カップス・ワンナイト・セッション』で当日のみの再結成(メンバーは、平尾、藩、加部、吉野、高野)。
1982年、平尾が六本木にライブ・バー「ゴールデン・カップ」をオープン。
1989年4月5日、大阪城ホールでのライブ『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、マモル、吉野、高野)。
1989年6月10日、横浜アリーナでのライブ『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、藩、マモル、加部、吉野、高野)。
1997年3月2日、伊東が死去。
2002年12月、本格的な再結成と映画『ワンモアタイム』の製作が決定。
2003年5月4日、5月6日、横浜・club Matrixにて映画撮影用ライブ『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2003』を行う。メンバーは平尾、藩、加部、マモル、吉野の5人に、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)。
2003年8月9日、NHK『思い出のメロディー』に出演。
2004年7月24日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画完成ライブイヴェント『ONE MORE TIME LIVE SESSION 2004』を行う。
2004年7月25日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』先行完成披露上映会を行う。
2004年10月10日、渋谷公会堂にて『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2004』を行う。
2004年11月20日、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』が一般公開される。
2006年4月1日、急性心不全で高野が死去。
2008年11月10日、食道がん療養中に心不全で平尾が死去。
2008年11月28日、『デイブ平尾追悼ライブ(当初は『THE GOLDEN CUPS×G.S. SUPER UNIT LIVE SPECIAL 2008』で実施予定)』を行う。
2009年1月26日、神奈川県横浜市のライヴハウス「タイクーン」にて、『THE GOLDEN CUPS PRESENTS 追悼 デイヴ平尾 トリビュートパーティー』が行われ、メンバーはもちろん、 旧知のCHIBOや陳信輝、CHARやジョニー吉長、金子マリ、石間秀機、篠原信彦などに加え、沢田研二、岸部一徳も参加して、平尾と伊東を偲んだ。
2009年11月10日、横浜BLITZにて『THE GOLDEN CUPS 横浜公演 2009』を行う。残った4人とサポートメンバー(樋口とスティーブ)に加え、ベースで林が数曲参加する。

メンバーの変遷

第1期(1966年12月3日~1968年7月7日) - 平尾(Vo)、藩(Lg)、伊東(Rg)、加部(B)、マモル(Dr)
第2-1期(1968年7月8日~1968年10月20日) - 平尾(Vo)、藩(G)、加部(B)、マモル(Dr)、吉野(Or)
第2-2期(1968年10月20日~1969年4月25日) - 平尾(Vo)、藩(Lg)、伊東(Rg)、加部(B)、マモル(Dr)、吉野(Or)
第3期(1969年4月26日~1969年12月31日) - 平尾(Vo)、加部(G)、マモル(Dr)、吉野(Or)、林(B)
第4期(1970年1月1日~1970年8月31日) - 平尾(Vo)、藩(G)、伊東(B)、吉野(Or)、高野(Dr)
第5期(1970年9月1日~1971年1月) - 平尾(Vo)、藩(G)、吉野(Or)、高野(Dr)、柳(B)
第6期(1971年1月~1971年7月2日) - 平尾(Vo)、藩(G)、高野(Dr)、柳(B)
第7期(1971年7月3日~1972年1月2日) - 平尾(Vo)、藩(G)、高野(Dr)、柳(B)、山崎(Or)

特徴

結成から解散に至るまで、オリジナルのヒット曲はあったが、ステージ上ではこれらの曲を演奏することを好まず、もっぱら当時のアメリカやイギリスで流行していたロックやリズム・アンド・ブルースのカバーを行っていた。演奏力にも定評があり、主に混血児(後に一般呼称化するハーフの意)で結成したというルックス(実際には平尾、マモル、吉野らは生粋の日本人、また藩は華人だった)とも相まって、アイドル的存在のグループ・サウンズの中では、「本格派」と呼ばれるバンドとして、コアなファンも多かった。

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