テイラー・スウィフト

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テイラー・スウィフト プロフィール画像

テイラー・スウィフトのバイオグラフィー

Taylor Swiftを参照。

テイラー・スウィフト(Taylor Swift、1989年12月13日 - )は、アメリカ合衆国のカントリー・ミュージック歌手、シンガーソングライター。

《略歴》
[生い立ち]
1989年12月13日、スウィフトはペンシルベニア州ワイオミッシングで生まれた。現在はテネシー州ヘンダーソンビルに両親と弟とともに在住。スウィフトは、プロのオペラ歌手である祖母とカントリー歌手のリアン・ライムス(LeAnn Rimes)の影響を受け、カントリー歌手になる事を決意した。その他、パッツィ・クライン、ドリー・パートン(Dolly Parton)、シャナイア・トゥエイン(Shania Twain)といった女性カントリー歌手や、ディクシー・チックス(Dixie Chicks)をよく聴いていたと本人は述べている。
10歳の時、ワイオミッシングでのカラオケ大会で、スウィフトは初めて人前で歌を歌い、その時から詞を書き始めた。11歳の時、カントリーミュージックで名高いテネシー州ナッシュビルのミュージック・ロウの全レコードレーベルに自作のデモテープを提出した。しかし、多くのレーベルの評価は低いままだった。
12歳の時から、スウィフトはナッシュビルに通い、地元の作詞家とともに書いた曲を提出し続けた。家族はスウィフトのためにナッシュビルの郊外に転居する事を決めたという。その後、カントリー・ミュージックに特化した独立レコードレーベルである、ビッグマシン・レコードと契約を結んだ。
学生時代は同級生からいじめをうけていて、カントリー・ミュージックが好きということも彼女たちの笑いのネタにされていた。そのことについてテイラーは「彼女達のいじめという逆境に負けず頑張れたし、試練にもなった。私が世界に負けないよう強くなれたのも彼女達のおかげだと思うわ。」とコメントしている。
2010年夏ごろから、ナッシュビルの実家から20分程離れたマンションにて一人暮らしを始めている。

《歌手活動》
[2006年 - 2008年]
2006年、スウィフトはビッグマシン・レコードで活動開始。デビューシングル「Tim McGraw」と、デビューアルバム「Taylor Swift」を2006年10月にリリース。アルバムはビルボードの総合アルバムチャートBillboard 200に19位で登場し、発売後の1週間で6万1000枚以上を売り上げた。その後、Billboard 200では5位に上がり、カントリー・アルバム部門で1位を獲得した。現在、MySpaceでのストリーム数は2000万回を超え、MySpace内のカントリー歌手ランキングで1位を保っている。
2007年には、3枚目のシングルである「Our Song」がカントリーチャートで6週連続1位を記録する大ヒットとなった。

[2008年 - 現在]
2008年11月11日に全米でセカンド・アルバム「Fearless」がリリースされた。このアルバムはBillboard 200で1位を獲得。1週間で59万2000枚を売り上げ、記録的なヒットを生んだ。同アルバム内の「Change」は一部が北京オリンピックのアメリカ代表の応援曲に採用され、NBCによるオリンピック中継の際に流れた。また、同アルバム内の曲で、シングルで同年9月12日に発売された「Love Story」はiTunes Storeで2位、ビルボード100で5位を記録し、大ヒットしている。
またスウィフトは、2008年10月25日にフィラデルフィアで行われたMLBのワールドシリーズの試合前にアメリカ合衆国国歌「星条旗」を歌った。
2009年9月13日、MTV Video Music Awards 2009でスウィフトが最優秀女性アーティスト・ビデオ賞受賞のスピーチ中に、突然舞台上に泥酔して乱入してきた歌手のカニエ・ウェストにマイクを奪われ、スピーチを妨害されるというハプニングがあった。ショックのあまり舞台裏で母親と涙を流したそうだが、その後ビヨンセの計らいによりスピーチを改めて行った。カニエに対しては、テレビでの何度もの謝罪と、気にかけてくれる周りの人の温かさで、テイラーはその後許したという[1][2] 。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により被災された方たちと日本に住む全ての人に向けてのメッセージということで MUSIC PEN CLUBにて「日本で被災された皆さんに、私の想いと祈りと愛をお送りします。」と語っている。

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