熊木杏里

ジャンル:
熊木杏里 プロフィール画像

熊木杏里のバイオグラフィー

熊木杏里(くまき あんり、1982年1月27日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家。長野県千曲市(旧更埴市)出身。キングレコード所属。身長153cm。血液型B型。関東国際高等学校を経て目白学園女子短期大学卒。

人物・音楽性

* 名前の由来は旧・更埴市のキャッチコピー「あんずの里」より採られた。愛称は「あんりこ」。
* 井上陽水を尊敬する歌手として挙げている。彼のような独自の世界観を作りたいと考えているようだ。アコースティックギターを前面に押し出したフォークソング調の曲が多いが、彼女の父の影響も大きいらしい。
* 「私は私をあとにして」までは全面的に吉俣良がプロデュース、編曲を行ってきたが、「春隣」からは岩瀬聡志と西垣哲二のタッグに変わった。このことにより吉俣良が作曲を手掛けた未発表曲(「短話」など)の今後の扱いが注目される。
* 対人関係に悩んできたため、自他かかわらず“存在”を問い直した詞が多く、特に初期の頃はそのような内容の歌が彼女の代名詞となっていた。この強い疑問を投げかける着眼点は、次第に「戦争」という広い視野が要される分野や、「自立」という積極性を題材とした曲の制作に繋がり、4thアルバムからは「恋愛」について扱うようにもなる。そのため、インタビュアーはこの変化と照らし合わせて、今はどのような立ち位置にあるかということを彼女に問うことが多い。
* 読書やキャンペーンへの参加を元に詞を書くことも多い。「戦いの矛盾」に収録された「いつか七夕」という曲は、横田早紀江が著した本を読み、実際に“座り込み”の現場へ行って、創られたものである。[1]
* 主に詞先形式をとるが、他人と共同制作した曲では詞先、曲先の両方を経験している。

「私をたどる物語」では、作詞者の武田鉄矢の名を知らされないまま詞が渡され、熊木杏里が曲をつけた。吉俣良の楽曲は、元来サウンドトラックとして存在していたものに、熊木杏里が詞をつける形式をとっている。

* かつて将来の夢の選択肢として国語の先生があったほどで、デビュー前には作詞のほか個人的な小説の執筆も行っていた。そのうち、大学2年生時に著した「鏡のない町」という作品はラジオ小説として「熊木杏里 WiLSONと一緒」で朗読された。

エピソード

* 「私をたどる物語」は、もともとは武田鉄矢が歌う予定で熊木に作曲を依頼したが、その仮歌が収録されたデモテープを聞いた武田と番組スタッフが気に入り、そのまま歌うことになった。
* 「新しい私になって」は、当初はCMのみの使用で音源化の予定はなかったが、オンエア開始から話題となり反響が大きかったため、同年9月からはiTunes StoreでCMオンエアバージョンが配信開始、更には11月22日にはシングル化となった。ちなみに、CDに収録されているバージョンとCMバージョンとでは歌詞が一部異なる部分がある。
* 「新しい私になって」は、作詞者であり多摩美術大学教授でもあるCMディレクターの中島信也が、大学で出した映像課題のとある提出作品の使用音楽に熊木の「私をたどる物語」が使用されていたことがきっかけで熊木の作曲センスに惚れ込み、熊木に作曲をオファーしたという。
* 「春の風」は、映画『バッテリー』の制作以前に小説を読んだ熊木が作った曲であるが、映画版の音楽担当が吉俣良であった縁で主題歌に採用された。