BLANKEY JET CITY

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BLANKEY JET CITY プロフィール画像

BLANKEY JET CITYのバイオグラフィー

浅井健一(あさい けんいち〈通称:ベンジー〉、愛知県出身、1964年12月29日 - )ボーカル、ギター
照井利幸(てるい としゆき、愛知県出身、1964年2月28日 - )ベース
中村達也(なかむら たつや、富山県出身、1965年1月4日 - )ドラム

BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)は、日本のロックバンド。東京にて1987年2月結成。略称はBJC。ファンや周囲からは「ブランキー」と呼ばれることが多い。

Blankey Jet CityはHMVによるTop 100 Japanese pops ArtistsのNo.73に選ばれている。


●1987年1月にブランキー・ジェット・シティを結成。

●1990年8月、「イカ天」にて第6代グランドイカ天キングを獲得したのがデビューのきっかけとなる。タテノリのパンクバンドが主流のバンドブームの中にあって、硬派でストイックなアメリカの不良のような佇まいや、垢抜けているがドラスティックなサウンド、特異な叙情性が注目を集め、審査員全員一致で選出された。
デビュー前に山本耀司のパリコレのモデルやウォークマンのCM出演など新人としては破格の扱いを受ける。しかし、満を持して1991年4月12日に発売されたファーストアルバム『RED GUITAR AND THE TRUTH』は評論家受けこそ高かったが、売上は10万枚にも達しなかった。

●翌1992年、土屋昌巳がBJCに熱烈なラブコールを送り、プロデュースを行い、1992年1月22日に2枚目のアルバム『BANG!』を発売する。同アルバムはミュージックマガジン誌が選ぶ日本のロックのアルバムの中で矢野顕子や佐野元春を抑えて、一位を獲得する。
彼らの所属していた東芝EMIではBJCを有名にするべく、過密なレコーディングを強いていた。結果、3rd『C.B.Jim』のレコーディング時には浅井が詞を書けなくなるなどの事態も生じる事となる。 ミニアルバムを挿み、4th『幸せの鐘が鳴り響き、僕はただ悲しいふりをする』をリリース。 5th『SKUNK』をリリースし、メンバーそれぞれが各ソロプロジェクトを始動する。 浅井はSHERBETとしてアルバム『SEKILALA』を、照井はJOE BROWNとして『ido-est』をリリース また、中村はLOVE SHOP LOSALIOSとして活動する。

●1997年には初のセルフプロデュースとなるアルバム『Love Flash Fever』をポリドールよりリリースする。 1998年の「赤いタンバリン」以降はタイアップ曲をたて続けに発売し、セールスが向上。同曲を含むアルバム『ロメオの心臓』は30万枚以上のセールスを記録している。

●1999年にはそれぞれソロプロジェクトを行い、 浅井はSHERBETSのアルバム『SIBERIA』 照井はJIM SPIDERのアルバム『WITH A GHOST』 中村はLOSALIOSのアルバム『世界地図は血の跡』 をリリース、また中村は東京スカパラダイスオーケストラのサポートドラムを勤めた。
2000年5月10日、アルバム『HERLEM JETS』を発表、新聞広告上において「最高のアルバムが出来たので俺達は解散します」と発表。原因はメンバーの不仲説や、音楽性の違いなどとも噂されていたが、現在でも照井と中村は浅井健一の曲にゲストとして参加したり3人で飲みに行ったりすることなどがあり不仲での解散ではないと思われる。 7月8日・9日に横浜アリーナにてバンドの最終公演「LAST DANCE」を行ったが、同年7月28日のフジ・ロック・フェスティバルの初日グリーンステージのトリを務め、そのステージが真のラストステージとなった。
ブランキー・ジェット・シティというバンド名もボーカルの浅井健一曰く、不良たちが集まる架空の都市、ブランキー市長の都市(ジェットシティ)ということであり、デビュー後発行した単行本もそのような架空の設定要素や叙情性が色濃いものであった。

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