Casiopea

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Casiopeaのバイオグラフィー

カシオペア (Casiopea) は、日本のフュージョン音楽界を代表するバンドの一つ。親しみやすいメロディーとテクニカルなリズム展開の曲調は多くのリスナーを惹き付け、日本ばかりでなく世界中にファンを持つ。最新作は2005年11月2日発売のライブDVD『5STARS LIVE』、2005年12月21日発売のアルバム『SIGNAL』。

2006年8月1日、バンドとしての活動を休止。


1977年結成。ヤマハのアマチュア・バンド・コンテストEastWest出場を足がかりに活動を開始。1979年のアルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。このアルバムにはブレッカー・ブラザーズ(ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー)、デイヴィッド・サンボーンらがゲスト参加。「スリル・スピード・テクニック」というキャッチコピーを与えられた。当時のメンバーは、野呂一生(ギター)、向谷実 (キーボード)、櫻井哲夫(ベース)、佐々木隆(ドラム)。デビュー前から評価は高かったが、同年の日本航空のニューヨーク・キャンペーンのCM曲として使用された「I LOVE NEW YORK」で世間への認知度が広がった。

1980年、ドラムを神保彰にメンバーチェンジ。このメンバーの時が黄金期と呼ばれ、数々の名作アルバム、名曲、名演を生み出す。海外進出も果たし、レコード発売ばかりでなく、ヨーロッパ、南米、香港、東南アジアなどではライブも行うようになる。

1989年にカシオペアはグループとしての活動を休止し、メンバーの個人活動期間に入る。櫻井と神保はメンバーを集めてボーカル音楽のバンド“シャンバラ”を結成するが、これがきっかけとなりカシオペアはリズム隊とメロディー隊の2つに分裂。シャンバラの活動をめぐりお互いを訴訟しあう、という異例の事態に発展した。その後リズム隊の櫻井と神保がカシオペアを脱退、翌年にジンサクというユニットを結成する。

1990年、セッション・ベーシストの御大“ナルチョ”こと鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎えるが、1992年に日山が脱退し、当時22歳の熊谷徳明が加入。

メンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。

海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のアーティストとして韓国公演を行って話題となる。しかし、この年かぎりで熊谷が脱退。1997年から野呂、向谷、鳴瀬の3名となり、そこに神保がサポートメンバーとして復帰して支えていた。2004年からは、その神保と則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。

2006年8月1日、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディング・ライブ活動をすべて休止すると発表した。理由については現時点では明らかにされていない。現在、メンバーはそれぞれのソロ活動を行っている状態である。

1970年代半ばに野呂と櫻井で結成したものの、この二人以外に固定メンバーが揃わずに活動していたためバンド名も毎回適当に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出に、野呂が自宅に帰って母親に相談したところ「星座の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を広げて選んだのがカシオペアである。 ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元のカシオペヤ座 (Cassiopeia) の正式な表記とは異なる。海外での活動の際、初見の人には「キャシオピー」と呼ばれることになるが、既にファンには「カシオペア」と認知されている。

ロックやファンクをベースとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主体にしたインストの音楽性は、黎明期の日本のフュージョン・シーンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ・スクエア(現・T-SQUARE)とともに主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。また、商業的にも成功し、インストバンドにもかかわらず、アルバムリリース毎にチャートの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを増やし続け、日本全国でホール展開のコンサート・ツアーを催していた。

しかし、80年代後半になると、全米進出のためにボーカルの導入やアメリカン・ポップ色を強くした音楽性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが顕著となる。さらに櫻井と神保の脱退という決定的な事態が追い打ちを掛けて人気が急落した。

鳴瀬喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュー以来のロックやファンク・ティストのインストに絞った音楽性による継続した活動を行い、時間は掛かったものの旧来からのファンの回帰に加えて常に新しい世代のファンを増やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音楽業界の中で、2005年まで毎年常にアルバムを制作してリリースし続ける偉業を達成していた。

サウンドの特色 として、リズム面では16ビートを基本とし、またハーモニー面ではジャズ理論をベースとし、テンション・ノートや代理コードを多用した複雑ながらもスムーズなコード進行や転調が特徴のひとつ。

また、16ビートの中にはさまざまに工夫されたシンコペーションを取り入れ、一瞬、拍の裏と表が分からなくなるようなギミックも多く、アマチュアバンドがコピーして演奏しようとした場合の難度が高い。

リーダーの野呂一生による優れた作曲能力・編曲能力がカシオペアのほぼ全体のアルバムで発揮され、全体のアンサンブルで聴かせるサウンドとも言える。

各メンバーの高度な演奏テクニックと一糸乱れぬ精緻なアンサンブルはこのバンドの大きな魅力であり、このことは、特に全盛期の4人(野呂・向谷・桜井・神保)のライブに於いて、メンバー紹介の際の聴衆からの拍手や歓声の大きさにメンバー毎の差が少ない(=フロントマン的な要素が希薄)ことでも証明できる。

他のフュージョン系アーティストと同様、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても定評がある。アグレッシブな曲調の曲(「FIGHT MAN」等)はスポーツのダイジェストに、ライトタッチの曲(「SUNNYSIDE FEELIN'」「PRIVATE SUNDAY」等)は天気予報や紀行ものに相性が良い。

この他、そのリズムの歯切れ良さから、イントロや曲中のフレーズを短く編集すると番組のジングルなどにちょうどいいことから、TVやラジオの音効担当者には欠かせないものとなっていた。しかしながら、これらの強引な「つぎはぎ」に対して、かつて雑誌のインタビューでこの状況に困惑とも受け止められるコメントを寄せていた。



代表曲

バンドのイメージに即座に結びつき、人気を決定付けた初期の代表曲を解説する。


ASAYAKE

カシオペアの、というよりジャパニーズ・フュージョンの代名詞的な曲である。タイトルどおり「朝焼け」を連想させる曲。初収録は2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』。その後『EYES OF THE MIND』『MINT JAMS』にもアレンジを変え収録。このMINT JAMSバージョンはこの曲の人気を不動のものとし、今日のライブでも必ず演奏される代表曲となった。ラスト・ナンバーまたはアンコール・ナンバーとして演奏されることが多く、サビでリズムに合わせ聴衆が拳を上げるのが習慣。曲のイントロのギターカッティングのフレーズは、楽器店でギター小僧が試奏する定番でもあった。1995年にはKey of Life(クレジットは「Key of Life + YUKI MORI & GAKU」)が「ASAYAKEの中で」の題名でカバーしている。

DOMINO LINE

初収録は『CROSS POINT』。その後『MINT JAMS』にアレンジを変えて収録される。後発のこのバージョンには、フレーズを16分音符ごとに一音一音区切って別の楽器で演奏する「音のドミノ倒し」という技が仕組まれている他、テクニカルかつ比較的長い(1分以上)のベースソロ、ドラムソロが収録され、多くのファンを魅了するとともに、コピーバンドのベーシストやドラマーにとっては難易度の高いコピー曲となった。ライブでたまに披露すると、頭の数音で聴衆から「ウォー」と歓声が上がるほどである。

GALACTIC FUNK

初収録は『CROSS POINT』。その後『FOUR BY FOUR』にもリー・リトナー・グループと共演したヴァージョンを収録。ベースのリフが印象的な曲。ベースソロやドラムソロを前後に配置しやすく、ライブでは盛り上げるために頻繁に演奏される。

SPACE ROAD

初収録はデビュー作『CASIOPEA』。その後『EYES OF THE MIND』にも収録。同じテーマが短3度上に次々と転調していくのが特徴。初期~中期のライブで好んで演奏された。ライブで演奏されるときには、ギター・ベース・キーボードによる16分音符のフレーズのユニゾンを中間部に置き、カシオペアらしい超絶技巧の曲である。

BLACK JOKE

最初期の代表曲。初収録はデビュー作『CASIOPEA』。その後『EYES OF THE MIND』にも収録。イントロやエンディングで聴ける6連符のユニゾン・フレーズが印象的で、彼らのテクニカルな面を象徴する曲である。

EYES OF MIND

初収録は『MAKE UP CITY』。その後『EYES OF THE MIND』にも収録。ライブでも頻繁に演奏されていた。