Jeff Buckley

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Jeff Buckleyのバイオグラフィー

 本名Jeffrey Scott Buckley。初めて所有したレコードは継父からもらったLed Zeppelinの『Physical Graffiti』。1966年11月17日、ミュージシャンだった父ティム・バックリー(Tim Buckley)と母メアリー(Mary Guibert)の一人息子として、カリフォルニア州アナハイムに生まれる。父ティム・バックリーは60年代から70年代前半にかけて活動していたフォークシンガーであり、現在においてもその評価は高い。ジェフにとっては8歳の時に一度会ったきりの実父であり、継父であるロン(Ron Moorhead)とメアリーによって育てられた。ティムは1975年にオーバードーズによって28歳の若さで亡くなっている。
 クラシックの素養のあった母とLed zeppelinを始めとするロックバンド等のファンであった継父との生活のなかで、ジェフは自然と音楽の道を志すようになる。Kiss等のハードロックがお気に入りだったジェフは、ハイスクール入学後はプログレやジャズのバンドでプレイし、卒業後はレゲエやへヴィーメタル、R&B等のジャンルに縛られない音楽活動を行った。ジェフの特徴的な声はこの段階では、あくまでコーラスに限られていた。

 1990年、ジェフはNYに活動拠点を移す。パキスタン伝統音楽の大御所ヌスラット・ファテ・アリ・カーン(Nusrat Fateh Ali Khan)に心酔し、伝説的ブルースシンガーのロバート・ジョンソンやハードコアパンク等から新たな音楽的刺激を受けつつ、ほとんどなんのツテもない中、本格的にミュージシャンとしての道を歩み始める。
 ジェフ・バックリーの名が「業界」的に知られる契機となったのは、1991年4月26日、ブルックリンの教会で行われたティム・バックリーのトリビュート・コンサートへの出演であった。決して名を売るためではなく、一度会ったきりで葬式にすら出席できなかった実父に対する複雑な思いに対して、自分なりにけじめをつけるつもりで出演を決めたジェフだったが、ティムを髣髴とさせるその歌声・パフォーマンス、あるいは突然現れた才能豊かなアーティストに観客たちは魅了された。 
 その後、性急にメジャーデビューを目指すことなく、Gary LucusのGods and Monstersの一員としてしばらく活動。バンド脱退後、1992年からはイースト・ビレッジにあったアイリッシュCafeの「Sin-é」を中心に、NYのロウワー・マンハッタン周辺のクラブやCafeでソロ活動を始める。ジェフ曰く「人間ジュークボックス」と化し、Nusrat Fateh Ali Khan、Nina Simone、Édith Piaf、The Smiths、Led Zeppelin、MC5、Van Morrison、Bob Dylan、Leonard Cohen等の様々なアーティストのカバーをはじめ、後に1stアルバム『Grace』に収録されることになるいくつかのオリジナルを織り交ぜた、融通無碍で驚異的なライブはたちまち周囲の話題となり、メジャーレーベルの重役の目にも留まることとなる。レーベル間の争奪戦の末、ジェフは1992年Columbia Recordsとの契約を決める。
 1993年11月、ホーム・グラウンドであったSin-éでのライブをそのままパッケージした『Live at Sin-é』でデビュー。1994年8月には自らのバンドと共に作り上げた1stアルバム『Grace』をリリースしたジェフは、翌年から1年半にも及ぶ長期のワールド・ツアーを行う。このツアーの模様は、後にシングルのB面やライブアルバム、VHS・DVDでリリースされた。『Grace』の余波は業界やリスナーのみならず、数多くの同業者へも波及し、Jimmy Page、Robert Plant、John Mayall、David Bowie、Lou Reed、Paul McCartney、Thom Yorke等が惜しみない賛辞を送った。
 
 ツアー終了後、ジェフは早速次のアルバムの制作に着手する。1997年、後に『Sketches For My Sweetheart the Drunk』としてリリースされる2ndアルバムは、一度レコーディングが行われ形にはなったものの、その出来は満足のいくものではなかったため、NYを離れてテネシー州メンフィスに制作拠点を移して再度練り直すこととなった。しばらくNYにいるバンドとデモのやり取りをするうちに構想が固まり、レコーディングは1997年5月29日にメンフィスで再開されることが決まった。
 その日、メンバーを乗せた飛行機がメンフィスの空港に着陸したころ、ジェフはバンドのローディーと2人でウルフリバーにいた。ジェフはブーツや服を着たまま、Led ZeppelinのWhole Lotta Loveを歌いながら川で水浴びをしていた。一緒にいたローディーは、水際にあって濡れてしまいそうだったラジオを避難させようとしてジェフから一旦目を離したが、次の瞬間ジェフの姿は既になかった。必死の捜索にも係わらず、1997年6月4日、彼の遺体が発見された。享年30歳だった。