Led Zeppelin

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Led Zeppelinのバイオグラフィー

 Led Zeppelin(1968年 - 1980年)はイギリスのロックグループ。70年代ロックの帝王というだけでなく時代を超えて世界で最も人気のあるロック・バンドのひとつ。略称は、Zep若しくはLed Zep。またはZeppelinと呼ばれることが多く、メンバーもインタビューなどで自分たちをZeppelinと呼んでいる。一般にはハードロック・バンドだとされる事が多いが、ハードロックのカテゴリーにはとても収まり切らない程幅広く奥深い音楽性を備えていた。
 
 以下、メンバー。
 Robert Plant(1948年8月20日生まれ):ボーカル、ハーモニカ
 Jimmy Page(1944年1月9日):ギター、テルミン
 John Paul Jones(1946年1月3日):ベース、キーボード、マンドリン
 John Bonham(1948年5月31日-1980年9月25日享年32歳):ドラム、パーカッション
 
 スタジオ・ミュージシャンとして名を上げ、当時人気のあったブルース・バンド、The Yardbirdsのギタリストとなったジミー・ペイジが、バンドの状況や契約していたレコード会社に失望していた中、自らが中心となって納得のいくメンバーを集め、結成。ヤードバーズのボーカルとドラマーが抜けたことを契機に、ジミーが友人から推薦されたロバートを「金儲けしようぜ」と誘い、ロバートが以前同じバンドのメンバーだったボンゾを紹介。最後にジミー同様に、若くしてスタジオ・ミュージシャン/アレンジャーとして評判の高かったジョンジーが加入する。
 バンドの将来性をメンバー自身が確信した衝撃的な初セッションを経て、ごく短期間ではあるがレコード会社との契約関係上「The New Yardbirds」としてヨーロッパをツアーした後、正式に「Led Zeppelin」が動きだすこととなる。1968年10月、マネジャーであったピーター・グラント(Peter Grant)とジミーの共同出資でアルバムのテープを録音。アートワークも含めた制作費約1700ポンド、ミキシングも含めた制作時間わずか36時間の代物をひっさげて、同年11月、当時としては破格の待遇であった20万ドルで、アメリカのAtlantic Recordsと契約を交わす。同年12月、Jeff Beckの代役としてまわった初のアメリカ・ツアーは各地で大反響を呼び、新人バンドの1stアルバムに5万枚の予約が入るという異常事態を招く。
 
 本国イギリスよりも先に、1969年1月、アメリカで1stアルバムをリリース。リリース後も文字通り「精力」的にツアーを行う。その合間をぬってレコーディングされ、バンドの勢い・混沌をそのまま詰め込んだ『Ⅱ』は1969年10月にリリースされ、米英ともに主要チャート1位を獲得し大成功を収める。1970年にリリースされた『Ⅲ』は、今までとは打って変わって、フォーク・ケルティック音楽の影響を感じさせるアコースティック色の強いアルバムだった。「ハードロック」なサウンドを期待していたリスナーは肩透かしを食らった格好になったが、ウェールズの片田舎のコテージでジミーとロバートが練り上げた楽曲を中心とした『Ⅲ』は、現在においてその評価は高い。
 バンドのリーダーであるジミーは当初から、どこまでも商業的なレコード会社の戦略や、バンドのゴシップ的な報道に偏るマスコミに嫌気が差していたため、TV出演や楽曲のシングルカットの拒否等、バンドのプロモーション等についてとかく外部からの干渉を排除した活動を志向した。その強固な意志は、例えば1971年にリリースしたアルバム(『Ⅳ』)には、ジャケットに曲名もバンド名も明記しないばかりか、アルバム名さえも付けないという「非常識」な形で表出した。Stairway to Heavenに代表されるような自分たちの楽曲に絶対的な自信を持っており、曲がよければ売れる、あるいは誇大広告・ハイプだと騒ぐマスコミを黙らせる、という意図を持った挑発的行動であった。以降、1973年の『House of Holy』、1975年には二枚組の大作『Physical Graffiti』、1976年にはジミー・ペイジの真骨頂である『Presence』とセールス的な成功はもちろんのこと、批評家の間でも高い評価を得るアルバムをリリースしていく。
 Zeppelin人気は地道なツアー活動を通じた「口コミ」で醸成されたといっても過言ではない。人気・セールス・ギャランティーにおいて他の追随をほとんど許さないモンスター・バンドへと成長し、70年代中頃まではその勢いがほとんど衰えることはなかった。特に1973年頃までのライブパフォーマンスでは、20分を超えるDazed and ConfusedのインプロビゼーションやWhole Lotta Loveのメドレー、Moby Dickのボンゾのドラムソロに代表されるような、ダイナミックかつカオティックで、当の本人達も再現不可能な唯一無二の世界が展開された。現在においても専門誌が集計する史上最高のプレイヤーランキングで、それぞれのメンバーが上位に名を連ねており、ある意味、理想的なバンドとして見ることができる。
 
 磐石に見えたバンドの状態も、特にロバート・プラントにおいては、73年の喉の手術以降、それ以前のように歌うことができなくなり、また75年の交通事故による両足骨折(同乗していた妻も重症)、そして77年には5歳の長男が病死といったトラブルや悲劇に見舞われ、ジミー・ペイジもその雑なギタープレイが批判されるようになったり、ヘロイン中毒に陥るなど、世界的なバンドイメージの肥大化とは逆にバンド自体の勢いは70年代後半には陰りが見え始める。77年のプラントの長男の死以降、バンドは無期限の停止状態にあったが、78年末から活動を再開。ジョン・ポール・ジョーンズのシンセサイザーを前面に押し出したアルバム『In Through the Out Door』の制作を開始、翌年リリースされる。アルバムの評価については賛否両論だったが、セールス的には成功し、ネブワースにおいて大規模な復活ライブを行う。
 しかし「復活」も束の間、1980年9月25日、ジョン・ボーナムが死去。1980年12月4日、メンバーはバンドの解散を発表する。後任についての議論や噂がたつことはあったが、余人をもって代え難いバンドであったことは当の本人達がよく知っていた。
 1982年『Coda(最終楽章)』をリリース。
 

 以降、コンスタントにアルバムのリマスター版やライブ版、DVD等がリリースされ、現在においてもファンの数やセールスを伸ばしている。全世界での総売り上げ3億枚ともいわれる。また、数度にわたって単発的に再結成ライブを行ってきたが、最近では2007年12月にジョン・ボーナムの息子であるJason Bonhamとともに、Atlantic Recordsの創始者であるAhmet Ertegunの追悼コンサートにおいて、念入りなリハを経た上で、一夜限りの再結成ライブを行った。