P!nk

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P!nkのバイオグラフィー

ピンク(P!nk、1979年9月8日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルヴァニア州出身の女性歌手。本名はAlecia Beth Moore。2000年にデビュー、R&B歌手としてキャリアをスタートさせた。

《幼少時代》
1979年9月8日 ペンシルバニア州、フィラデルフィアに生まれる。
父はベトナム退役軍人。幼い頃から、彼女にボブ・ディランなどの曲をギターで弾いて聞かせてくれていた。その影響でP!NKは歌手を志すようになる。音楽好きな父親からいろいろと音楽を教えてもらったようで、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス等の古いロックなどを好むようになる。しかし7歳の頃に両親が離婚。尊敬していた父親が家を出て行ってしまった。
母親は彼女の夢を全く理解してくれなかった様で、彼女が高校を中退した際に、家から追い出したという。

《デビューまでの過程》
ティーンの頃にクラブへ顔を出すようになり、ほとんどの時間をダンスフロアやステージで費やすようになっていく。彼女はそのクラブで、スクラッチと言う名のダンサー(後のザ・ルーツのメンバー、スクラッチ)に出会い、彼の所属するラップグループでバックボーカルをやらせて貰う様になる。その後毎週金曜日には、クラブでレギュラータイムをもらい、メアリー・J. ブライジの曲などを歌う様になる。
本格的に作曲を始めたのは14歳の頃で、スタジオに入ってデモテープの制作も始めていた。
ある日、R&Bグループのシンガーを探していたあるレコード会社のA&Rがクラブを訪れ、彼女を気に入り、“Basic Instinct(ベーシック インスティンクト)”というグループのオーディションを受けるよう彼女に勧める。 オーディションに合格したものの、グループはすぐに空中分解、その後、当時LA.リードが社長を勤める、LA Faceレコードが契約した“チョイス(Choice)”というグループに抜擢されたが、このグループもデビュー直前までこぎつけながらあえなく解散してしまった。
しかし、これがきっかけでLA.リードと知り合ったP!NKは彼に自分の作ったデモテープを聴かせたところ気に入られ、デビューすることになった。

《デビュー以後》
2000年初頭、P!NKはベイビーフェイスやシェイクスピアなどのR&B界を代表するプロデューサーたちを招いてアルバムの制作を開始した。
デビューシングル「ゼァー・ユー・ゴー」は全米で7位を獲得、続けてリリースしたセカンド・シングル「モスト・ガールズ」は、全米4位を記録した。
アルバム『キャント・テイク・ミー・ホーム』は、アメリカでビルボードアルバムチャートに連続59週間チャートインし、カナダ、オーストラリアでダブル・プラチナム、イングランドでもプラチナ・ディスクを記録。
2001年に入り、クリスティーナ・アギレラ、リル・キム、マイヤと歌ったミッシー・エリオットのプロデュース映画、『ムーラン・ルージュ』の主題歌「レディ・マーマレード」(パティ・ラベルのカヴァー)が全米シングルチャートで5週連続1位、グラミー賞を獲得。 なおこの曲は2001年のMTVの“VIDEO MUSIC AWARD”において、“VIDEO OF THE YEAR”と“BEST VIDEO FROM A FILM”の2部門を受賞した。
同年の11月20日、2ndアルバム『ミスアンダストゥッド』をリリース。 このアルバムに収録されているほとんどの曲を元4NonBlondsのリンダ・ペリーと共同制作。 これまでのR&Bテイストに変わって、先行シングル「ゲット・ザ・パーティー・スターテッド」に象徴されるような、ファンキーなテイストのロックが中心となっている。Billboard誌初回登場8位、世界中で1200万枚をセールスし、発売日から数日でプラチナアルバムという偉業を成し遂げた。
2003年11月には、3rdアルバム『トライ・ディス』をリリース。前作に引き続きリンダ・ペリー、そして新たにランシドのティム・アームストロングも参加。前作以上にロック色濃い作品となった。この作品からのシングルカット「トラブル」は、「レディ・マーマレード」以来、ソロとしては初のグラミー賞を獲得。
2006年、3年振りの4thアルバム『アイム・ノット・デット』をリリース。今回はマックス・マーティンとブッチ・ウォーカーがプロディーサーとして参加し、サウンドが更に重厚になった。ボーナストラックに、実父とのデュエット曲も収録されている。本人曰く「最高傑作」とのこと。
2007年、映画『カタコンベ』に、キャロリン役で出演。
2008年、5thアルバム『ファンハウス』をリリース。1stシングル「ソー・ホワット」は自身のソロとして初の全米1位となった。

《エピソード》
名前の由来は、髪色がピンクだから。他に、子供の頃ズボンを下げられて顔が真っ赤(ピンク)になったため、あだ名がピンクになった、という事であるらしい。しかし、これは建前で、ピンク自身がテレビで、「親友のゲイの男の子に、『女の子のアソコを見たことがないから、見せて』とせがまれて、仕方なく見せたら、“女の子のはピンクなんだ”と言われたのが始まり」と語っている。
元々の髪色はブロンドである。
ヘロインの中毒者だった過去がある。『アイム・ノッド・デット』収録曲の『フー・ニュー』は薬物のオーバードーズで亡くなった友人のことを歌った曲である。
私生活ではモトクロスレーサーのケアリー・ハートと結婚するも離婚。「ソー・ホワット」のミュージック・ビデオでは自身とケアリーの名前が書かれた木を切り落としている。


《アンチセレブリティ》
世間の過剰なまでのセレブリティ崇拝を批判している。「Stupid Girls」のPVでは、具体的な名前は挙げていないが、明らかにジェシカ・シンプソン、メアリー・ケイト・オルセン、50セントと踊るブリトニー・スピアーズ、パリス・ヒルトンのセックスビデオなどをパロディにしているのが分かり、この皮肉たっぷりのミュージック・ビデオは話題を集めた。
動物愛護団体PETAを支援しており、以前、イギリスのエリザベス女王に手紙を出し近衛兵の帽子を熊の毛皮からフェイク・ファーに変えるよう懇願したこともある。その為、動物愛護団体に非難されながらも本物の毛皮を着続けるビヨンセを「セレブリティは、自分が毛皮を着てることでどんなメッセージを発しているのか責任を持つべきだわ。(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思ってるかもしれないけど、大間違いよ。何の毛皮を着てるのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにって思うわ」と非難した。
一方でスキャンダルが絶えないブリトニーに声援を送った事もある。
因みにビヨンセとブリトニー・スピアーズとはペプシコーラのテレビCMで共演している。

《ディスコグラフィ》
[Studio albums]
2000年 Can't Take Me Home
2002年 M!ssundaztood
2003年 Try This
2006年 I'm Not Dead
2008年 Funhouse
2012年 The Truth About Love

[Best albums]
2010年 Greatest Hits... So Far!!!

[Singles]
2000年 There You Go
2000年 Most Girls
2000年 You Make Me Sick
2002年 Get The Party Started
2002年 Don't Let Me Get Me
2002年 Just Like A Pill
2002年 Family Portrait
2003年 FEEL GOOD TIME
2003年 Trouble
2003年 God Is A DJ
2003年 Last To Know
2006年 Stupid Girls
2006年 Who Knew
2006年 U + Ur Hand
2006年 Nobody Knows
2006年 Dear Mr. President
2006年 Leave Me Alone (I'm Lonely)
2006年 Cuz i can
2008年 So What
2008年 Sober
2008年 Please Don't Leave Me
2008年 Funhouse
2008年 I Don't Believe You
2010年 Raise Your Glass
2010年 Fuckin' Perfect
2012年 Blow Me (One Last Kiss)


《Official Site》
http://www.pinkspage.com/
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/BV/pink/index.html