Portishead

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Portisheadのバイオグラフィー

ポーティスヘッド(Portishead)はイギリス、ブリストルでボーカルのベス・ギボンズとマルチ・インストゥルメンタリストのジェフ・バーロウの2人で1991年に結成されたバンド。その後、メンバーにギタリストのエイドリアン・アトリーが加わる。マッシヴ・アタック、ラム、トリッキーなどと並んでブリストルが発祥の地と言われるトリップホップミュージックの先駆者として知られ、ファーストアルバム「ダミー」が350万枚、セカンドアルバム「ポーティスヘッド」が200万枚のセールスを記録し大ヒットとなった。

バンド名は、ジェフが生まれ育ったサマセットの田舎町ポーティスヘッドから取られている。ジェフ、ベスともにブリストル出身ではない。

トリップホップというカテゴリーに入れられることを本人たちは相当嫌悪しており、「トリップホップはヒップホップの基本も理解していないような人間が作ったもの。トリップホップというカテゴリーに入れられて売られている音楽はすべてクズだと思うね。聴いてると嫌な気分になる」と、ヒップホップ・ミュージックから強い影響を受け育ったジェフは語っている。

略歴
1991年ブリストルでベス・ギボンズとジェフ・バーロウの2人が出会って結成。結成前はさまざまなブリストル出身のミュージシャンのレコーディングのアシスタントとして活躍していたジェフだったが、自分の作るトラックにメロディーを付けて歌ってくれるボーカリストを探していた。ベスはその頃、ブライアン・アダムスのカヴァーなどをパブで演奏して生活していた。ベスと出会ったジェフは、「こんな暗い音楽に歌をのせてくれる人がいるとは思わなかった」と感激し、レコーディングを開始する。そして、ギタリストのエイドリアン・アトリーとともに、ファーストアルバムの製作に乗り出す。

1994年ファーストアルバム「ダミー」を発売。これが瞬く間に世界中の音楽ファンの間で話題となり、イギリスのほとんどのミュージックアワードで年間ベスト・アルバムを受賞。一般紙はもちろんのこと、メジャー・インディーズ問わずに辛口批評をする雑誌等でも大絶賛される。ヨーロッパ・アメリカ、その他日本を始めとした世界各国で爆発的なセールスを記録し、100万枚以上を売り上げた(後に350万枚まで売り上げる)。これは、メンバーはもちろんレコード会社関係者の予想をも遥かに上回る数字だった。

世間からの過剰なまでの歓迎、そして「このダミーを超える作品は、彼らには作れないだろう」といった批評家からの言葉などがプレッシャーとなり、ポーティスヘッドは音楽制作を一時中断せざるを得なくなる。プロモーションやインタビューで精神的にバランスを崩したベスは、今後一切のインタビューを断ると宣言。「彼女にボーカルを辞められたら困る」という理由で、インタビューにはジェフが応じるようになる。この間、トリッキーが無断でポーティスヘッドの曲をサンプリングして自らのトラックに使用し、両者間の関係が悪化するなどのトラブルもあった。

1997年ニューヨークで世界中から記者を集め、大規模な復活ライブと記者会見を行う。記者会見になるとベスはその場から姿を消し、一言も喋らずに帰っていった。

そして、13ヶ月かけて製作したセカンドアルバム「ポーティスヘッド」をリリース。その後、世界ツアーを行う。ニューヨークで行われた、ニューヨーク・フィルハーモニックを従えて行ったライブは、ビデオとライブCDとして発売される(1998年、「Roseland NYC Live」をVHSとCDで発売)。このツアーには日本公演も含まれていたが、直前にベスが体調を崩して中止となってしまう。

ツアー終了後は長い充電期間に入り、単発的なライブやコンピレーションアルバムへの参加はするものの、ベスはソロで活動を開始し、ジェフやエイドリアンは他アーティストのプロデュース等に専念するようになり、ポーティスヘッドとしての本格的なリリースは10年近く封印されることとなる。その後、幾度かニューアルバム発売のアナウンスがあったものの、延期に次ぐ延期でリスナーを困惑させた。

2007年12月、久しぶりにフルセットでのライブを行い、新曲を4曲披露。ニューアルバムのレコーディングはすでに終了したことを発表し、会場を沸かせた。

2008年4月28日(日本では30日)、待望のサードアルバムとなる「サード」を発売することが決定。リリースに併せて、ヨーロッパツアーを開始することが決定。ヨーロッパの中でも、都市から離れた割と郊外にある小規模のライブ会場が多く選ばれた。アメリカ・オーストラリア・アジア等は今回のツアーに含まれず、年内のライブはもうやることはないだろうとの宣言がなされた。