Pulp

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Pulpのバイオグラフィー

パルプ (Pulp) は、イギリス、シェフィールド出身のロックバンドである。
10年間の長き下積みを経てスターダムにのし上がった苦労人バンドであり、90年代のブリットポップブームの主役として、当時は社会現象的な人気を誇った。
中心人物のジャーヴィス・コッカーがつくる、機知と皮肉に富んだ歌詞と妖艶なグラム・ロック調サウンドが特徴で、「コモン・ピープル」はブリットポップ全盛期を代表する名曲として有名であり、「ディス・イズ・ハードコア」はブリットポップ終焉を象徴する曲として語られている。
97年をピークに人気は下降線をたどり、2002年に活動休止を宣言したが、これは事実上の解散であった。ジャーヴィス・コッカーは近年になってソロ活動をはじめている。

デビュー・下積み時代
1983年に1stアルバム『It』でデビューするが、直後にバンド内で亀裂が生じたため十分に活動もできない状態でのデビューであった。何とかバンドを運営しつつ4年後には 2ndアルバム『フリークス』をリリースするも大した話題にはならなかった。同年、ジャーヴィス自身の大学進学のためロンドンへ拠点を移すことになり、学業と平行しながらのバンド活動となる。
ロンドンに移った後、当時ブームだったアシッド・ハウスの影響を受けた彼らは、サードアルバム『スーパーアクションズ』を製作する。しかしレーベルとの対立からリリースをさせてもらえなくなってしまい、もはやバンドは完全に機能不全に陥る。この間多くのメンバーが離脱し、ほとんどバンドとしての体裁を失う事態となった。ジャーヴィスも当分学業に専念し、しばらく活動は行われなかった。(この時期、ジャーヴィスは学校で、裕福なギリシャ人のお嬢様留学生と出会う。彼女との邂逅が後の、名曲「コモン・ピープル」の歌詞となった。)

・栄光の到来
3年後、ほとんどのメンバーを入れ替えた状態で、細々と地下活動を再開する。地道に活動を続けていく中で、シングル「マイ・レジェンドリー・ガールフレンド」がNMEに注目され、地元シェフィールドのインディーレーベルから、お蔵入りになっていた『スーパーアクションズ』のリリースにこぎ着ける。
1993年になってついに念願のメジャーレーベルとの契約を交わすと、翌年に発売したメジャーデビュー第一弾アルバム『彼のモノ♥彼女のモノ(His 'n' Hers)'』が全英Top 10入りを果たす。プロモーションの過程で数多くのテレビ・ラジオ番組に出演すると、個性的なジャーヴィスの風貌やフロントマンとしての存在感が大きく取り上げられるようになった。ここに至って、ついにバンドは長きに渡った下積みの立場を終え、メジャーな存在として花開いた。
そして1995年、アルバム『コモン・ピープル(Different Class)』を発表。このアルバムは全英No.1に輝き、10日間でプラチナム・セールスを達成、英国内だけで120万枚のセールスを記録した。「コモン・ピープル」、「ディスコ2000」、「サムシング・チェンジド」と、シングルは軒並みヒットを続け、バンドは爆発的な成功を収めた。と同時にブラー、オアシスらとともにブリットポップの一大ムーブメントの「顔」として社会現象を巻き起こす存在となった。さらに怪我で出場を取りやめたストーン・ローゼズの代役としてグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーを務め、のちのちまで語り草となった「フェスを自分のモノにしてしまう」ほどのパフォーマンスを披露した。
翌年のブリット・アウォーズでは4部門にノミネートされたが、マイケル・ジャクソンのパフォーマンス中に,彼に対する抗議のためステージに乱入する事件を起こす。

・ブームの終息
一躍スターダムにのし上がり、人気も頂点に達した彼らだが、ジャーヴィスは周囲からの異常な賞賛と、過度の期待がために徐々に精神を蝕まれていき、そこから逃避するかのように酒とドラッグに溺れていった。ブームの狂騒に嫌悪と無気力感を覚えた彼は、そんな混濁とした状況をアルバム『ディス・イズ・ハードコア』に詰め込んだ。1998年に発表されたこのアルバムは、全編を通して暗く重いトーンに覆われた、陰鬱な仕上がりとなった。全英1位を記録こそしたが周囲の期待を裏切る内容となったためか前作から大きく売り上げを落とし、奇しくもブラーのデーモン・アルバーンがこの時期発言した「ブリットポップは死んだ」ということを裏付けるかのような結果となってしまった。
2001年に、スコット・ウォーカーにプロデュースを依頼した『ウィ・ラヴ・ライフ』を発表するころにはブリットポップブームは完全に終息しており、チャートでは全英6位とある程度の成績を残したものの、もはや「終わったバンド」としての評価しか得られなかった。スターダムから転落した反動は大きく、一度落ちた人気を回復することは不可能であった。レーベルも、彼らに見切りをつけるかのようにベストアルバムを発売させたが全英71位にとどまり、メンバーはこれ以上のバンドの存続は困難と判断し、活動停止を決断。この時点で事実上、パルプは解散した。

・その後
メンバーはその後、他バンドのサポートを務めたり、片手間にクラブでDJをしたりと印税生活を送っているらしい。ジャーヴィスは結婚してパリに移住し、時たま、パルプのベーシスト、スティーヴ・マッキーとRelaxed Muscle(そこではDarren Spoonerと名乗っている)なるエレクトロ・ポップ・バンドをサイドプロジェクトで結成したり、レディオヘッドのコリン・グリーンウッド、フィル・セルウェイと一緒に映画ハリー・ポッターと炎のゴブレットにカメオ出演するなどして、気ままなセミ・リタイア生活を営んでいた。
2007年になってジャーヴィスは、セルフタイトルのソロ・アルバムを発表。これは全英37位、インディーズ・チャートでは1位を記録する成功を収めた。本人も「音楽から離れられない自分を再認識できて嬉しい。」とコメントし、同年のフジロック・フェスティバルに出演を果たすなどマイペースながらも本格的な音楽活動復帰に意欲的である。