Rammstein

ジャンル:へヴィメタル
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Rammsteinのバイオグラフィー

ラムシュタイン(RAMMSTEIN)は、1993年に結成されたドイツのロックバンド。
バンド名の「ラムシュタイン」は、1988年8月28日に航空ショーで事故が発生した旧西ドイツのラインラント・プファルツ州の街、ラムシュタイン-ミーゼンバハ(Ramstein-Miesenbach)から取られた(彼らのバンド名にはmが一つ多い)。彼らの曲の歌詞がほとんどドイツ語であるにもかかわらず、バンドはドイツ国外でも成功している。1996年にアメリカの映画監督のデヴィッド・リンチにPVの製作を依頼するのだが、リンチが多忙だったために実現しなかった。しかし映画を撮影中BGMとして何度か聞いているうちにラムシュタインを気に入り、リンチが翌年公開の自分の最新映画ロスト・ハイウェイに『Herzeleid』収録の「マリー・ミー (Heirate Mich)」と「ラムシュタイン (Rammstein)」の2曲を起用することになり、これがアメリカに進出するきっかけとなった。1998年にはKornの主催するファミリー・ヴァリューズ・ツアー98にリンプ・ビズキット、インキュバス、アイスキューブ、オージーとともに参加。2002年に公開されたアメリカ映画トリプルX(監督:ロブ・コーエン、主演:ヴィン・ディーゼル)では『ムター』収録の「撃て! (Feuer frei!)」が主題歌となり、映画も彼ら自身の同曲のライブシーンから始まり銀幕デビューも果たした(但しライブシーン自体は映画の為に撮影した擬似ライブ)。2004年のアルバム『ライゼ・ライゼ〜南船北馬〜』で、彼らは最も成功したドイツ出身バンドとなった。『ライゼ・ライゼ〜南船北馬〜』は世界50ヶ国以上でリリースされており、20ヶ国でアルバムチャートのTOP10入りを果たした。また、2005年のアルバム『Rosenrot』も同等の売り上げを誇っている。アルバムのワールドセールスは通算で1000万枚を突破している。
メンバーは全員が旧東ドイツ、特に東ベルリンおよびライプチヒ、シュヴェリーン出身である。コンサートでは、大量の火薬や火炎放射器を使った過激な演出をすることでも知られている。
その挑発的な音楽スタイルのために、物議を醸すことも多い。彼らの曲がドイツ的な部分を強調しているため、ネオナチではないかと疑われることもあるが、メンバーはこれを否定している。1998年に発表したシングル曲「Stripped」(デペッシュ・モードのカバー)のビデオクリップに、ナチのプロパガンダ映画とされているレニ・リーフェンシュタール監督の『オリンピア』の映像を使用したことで批判されたが、メンバーは映像作品として美しいので利用したに過ぎないと主張。1999年4月20日 のコロンバイン高校銃乱射事件では、犯人の少年達が彼らのファンだったため、影響を与えたのではないかと非難された。
同年のアメリカでのツアー中、「ベンド・ダウン (Bück dich)」の演奏中にティルとフラケがステージで行っている、ディルドなどを使ったSM的なパフォーマンス が猥褻(わいせつ)行為にあたるとされ、二人は逮捕された。2004年発表のアルバム『ライゼ・ライゼ〜南船北馬〜』の収録曲、「俺の一部 (Mein Teil)」(ドイツ語では「一部」は性器を指す隠語 でもある)では、2001年にローテンブルクで起きたアルミン・マイヴェスの事件(インターネット上で自分に食べられたいと希望する男性を募集し、応募してきた相手を実際に殺害して食べた)を元にしており、名誉毀損だとして犯人から告訴されている。また、同アルバムの1曲目冒頭には1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故のボイスレコーダーの音声が収録されており、物議を醸した。同音声は日本盤ではカットされている。

メンバー

ティル・リンデマン(Till Lindemann、ボーカル、1963年1月4日 - 、身長190cm) - ライプツィヒ生まれ。バスボーカルが特長。元水泳選手。ユースのチャンピオンであり、1980年のモスクワオリンピックでは控え選手にも選ばれたが、イタリアで合宿中にポルノ雑誌を買うために勝手に宿舎を抜け出すという規則違反のため出場権を剥奪された。1986年にシュヴェリンにてパンクバンド「First Arsch」でドラマーを務める。1988年のソウルオリンピックにも東ドイツ代表の控え選手として選ばれた。母はジャーナリスト、父親は画家・詩人であった。パイロ技師の資格を持っている。また詩人、俳優としても活躍している。最初の妻との間に娘が二人、次の妻との間に娘が一人いる。ただし最初の妻の二人目の娘は実子でなく、彼女の父親はラムシュタインのリヒャルトである。

リヒャルト・Z・クルスペ(Richard Z. Kruspe、リードギター、1967年6月24日 - 、身長187cm) - シュヴェリーン生まれ。イーエスピーのギターを使用。11歳から17歳にかけてレスリングをやっていた。サラリーマン2年間勤務。1991年ごろ最初のバンド「Orgasm Death Gimmick (オーガズム・デス・ギミック)」を結成。リヒャルトは事実上バンドの創設者。1999年からニューヨークに移住し、自身のソロプロジェクト『エミグレイト(Emigrate)』の名前で活動を始める。2007年にファーストアルバム、『Emigrate』を完成させる。娘と息子がいる。

パウル・ランダース(Paul Landers、リズムギター、1964年12月9日 - 、身長178cm) - ベルリン・バオムシューレンヴェーク地区生まれ。幼少の頃にピアノとクラリネットを習い、15歳でギターを手にする。 ギブソンのギターを使用。図書館のボイラーマン勤務経験あり。1983年にフラケらとFeeling Bを結成。ロシア語を流暢に話せるらしい(読み書きはできない)。娘と息子がいる。

オリバー・リーデル(Oliver Riedel、ベース、1971年4月11日 - 、身長203cm) - シュヴェリーン生まれ。ミュージックマン・スティングレイのベースを使用。19歳のときにクラシック・ギターを手にする。1990年~1993年には東ドイツで人気があったフォークロックバンド「The Inchtabokatables」に参加。子どもが二人いるが詳細は不明。

クリストフ・シュナイダー(Christoph „Doom“ Schneider、通称:ドゥーム、ドラム、1966年5月11日 - 、身長193cm) - ベルリン生まれ。TAMAのドラムを使用。子供のころにトランペットを習う。後に兄からアルミの缶で作ったドラムセットをもらい、ドラマーになるのを夢見るようになる。1990年にDie Firmaに加入。1991~1993年にはフラーケとパウルがいたバンドFeeling Bにも参加する。電話工事会社勤務経験あり。子供がいるが詳細は不明。

ドクトル・クリスティアン・ローレンツ(Doktor Christian „Flake“ Lorenz、通称:フラケ、キーボード、1966年11月16日 - 身長198cm) - ベルリン生まれ。ローランドのキーボードを使用。子供時代ピアニストになるための教育を受けていたが、向いていないと思っていた。1983年にパウル、Aljoscha Rompeと共にパンクバンドFeeling Bを結成、「ドクトル」は医者志望であったことからついたあだ名。絵画が趣味。娘がいる。

※メンバーの平均身長は191.5cm。 ※メンバー全員が離婚歴あり。

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