Ride

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Rideのバイオグラフィー

バンドはイギリスOxfordにて1988年に結成され、公式には1996年に解散している。この間、批評家からの評価を得たものの、狙っていた経済的な成功ではなく、チャートに入るようなことも少なかった。減少していくシューゲイザーバンドたちの運命に抗うかのように、少しの間は自分たちの力を証明したが、その後、バンドメンバーはそれぞれのプロジェクトへと向かっていった。
- Andy Bell:Hurricane #1を結成した後、Oasisにベーシストとして参加。
- Mark Gardener:The Animalhouseとしてアルバムを発表。その後Goldrushとツアーを回り、ソロアルバム『These Beautiful Ghosts』を発表。
2001年、テレビの特番ドキュメンタリーに参加したが、これは彼らのアルバムとライブレコーディング、アウトテイク集が再リリースされることに伴ったものであった。

1988~89年 スタート:
GardenerとBellは、OxfordのCheney Schoolに通っており、学校の音楽祭に出場していた。10月、アートとデザインの基礎研究をするためにBanburyに転校し、Colbertに出会った。Queraltは地元のレコードショップで加入した。Donkeyという名前を考えていたが、Gardenerがタイポグラフィーワークショップのためにデザインしたグラフィックにちなんで、自らを"Ride"と呼ぶようになった。Rideとしての最初のギグは1988年に行われた大学でのクリスマスパーティーだった。Banburyにいた頃はあまり活発な活動をしていなかったが、『Chelsea Girl』、『Drive Blind』を収録したデモテープを制作している。1989年2月、欠員の穴埋めにOxford Polyで行われた学生連のギグに呼ばれ、そこでAlan McGeeと出会う。The Soup Dragonsのサポートを勤めた後、McGee率いるCreation Recordsとレコード契約を果たした。

1989~1993年 Creation Records初期:
Rideは1990年1月から9月にかけて、『Ride』『Play』『Fall』と名付けられた数枚のEPをリリースし、そのいずれにも独特のアートワークを施していた。これらのEPからは、『Chelsea Girl』、『Like a Daydream』、『Dreams Burn Down』が世間の人気を得た。いずれもチャートでの成功は得られなかったが、批評家から賞賛を受け、Rideは音楽プレスから愛される存在となった。最初の2枚のEPは、後に『Smile』として再リリースされ、『Fall EP』は1990年10月にリリースされた最初のアルバム『Nowhere』に追加収録された。
『Nowhere』は批評家から歓迎され、Rideを1991年のブライテスト・ホープへと押し上げた。『Vapour Trail』や『Dremas Burn Down』を収録したこのアルバムは、多くのファンがもっとも好んでいるアルバムであり、シューゲイザーのクラシックとなった。この頃、バンドは、彼らの音楽にとって重要な要素であったリズムギターのフィードバックノイズを特徴とする『Seagull』を、ライブで頻繁に演奏していた。
新しい曲への要求が高まったバンドは、1991年3月に『Today Forever』を録音する。このEPはバンドが急速に成長したことを示すものとなり、12ヶ月前にリリースした曲と比べて、より捉えづらく複雑なものであった。このEP収録の『Sennen』はファンのお気に入りの曲となった。この年の終わり、Rideは日本、オーストラリア、フランスなどへ、初の海外ツアーを行っている。
1992年、バンドはファンお気に入りのアルバムとなるセカンド『Going Blank Again』をリリース。8分17秒にも及ぶアンセム、セカンドシングル『Leave Them All Behind』で始まるこのアルバムは、シューゲイザーバンドへと分類されるウォール・オブ・サウンドのスタイルで作られたバンドの創造性とスキルとを証明するものとなった。このアルバムは、シューゲイザーを代表するアルバムでありながらも、My Bloody Valentineの『Loveless』のような、シューゲイザーとは別世界で語られるようなランドマーク的な作品となった。ディストーションやワウペダルを多用し、かつお互いにフィードバックしあうBellとGardenerのツインリズムギターはこのアルバムにとっても、チャートでの成功にとっても、重要なハイライトだった。メロディと不協和音が混在する新しい音や『Withnail and I』からのサンプリングなど、「借り物のリフ」がみられる曲もある。こうしたことは、セカンドアルバムを制作するに当たって、彼らがNirvanaの『Nevermind』などを聴き、影響を受けたものだと指摘する必要があるだろう。シューゲイザーとグランジのこうしたリンクは、これまでに実現されたことがなかった。Sonic YouthやMy Bloody Valentineからの影響とRide自身の音楽スタイルとが、このアルバムでは影響し合っているように見える。

1994~1996年:音楽的方向性の変換期
1993年ごろ、音楽批評的な意味では、Rideは『Going Blank Again』の成功の最中にいたとみられるが、次第にサードアルバムが強く望まれるようになった。強固なファン層を抱え、メインストリームで成功しながらも、バンド内の緊張、特にBellとGardnerの不和により、バンドは現状打破を見いだせない状況に陥っていた。サードアルバム『Carnival Of Light』は、メインストリームのリスナーがシューゲイザーを追いやり、Brit Popへと移行した後の1994年にリリースされた。このアルバムは、ある程度までは新しいサウンドを志向したものであったが、売り上げは落ち込み、その音楽的テイストは旧来のオーディエンスの多くを離れさせてしまうものであった。ヘヴィなリフが特徴の『Moonlight Medicine』で幕を開け、『From Time To Time』や『Birdman』、The Creationのカバーである『How Does It Feel To Feel』などの斬新なトラックも収録されていた。継ぎ接ぎのような曲の配置など多くの問題点を抱えながら、『Carnival Of Light』でも彼らは多くのファンを維持し続けた。

1996年:解散
1995年になると、『Talantula』レコーディング中にバンド内に不和がみられるようになっていた。
解散はBellとGardnerの個人的な緊張関係や音楽制作上のぶつかり合いによるものであったようだ。両者とも、シューゲイザーというルーツから離れ、より現代的な音楽へとバンドを向かわせ、時代に応じて音楽スタイルを変化させようとしていた。「二つの方向性がバンドの前に開かれていたようだが、誤ったオプションを選択してしまった」とメンバーのSteve Queraltは語っている。『Carnival Of Light』の前半はMark Gardnerによって書かれた曲であり、後半はAndy Bellの曲であり、このアルバムは二人のギタリストの間にある緊張関係を暗示していた。それぞれの曲を混在させることを彼らは拒否をしていたようであった。少年聖歌隊の歌を使ったり、ハモンドオルガンを使ったりという音楽的な変化は、両者が望んでいたような革新性も創造性ももたらさなかったのである。

『Talantula』がリリースされる頃には、バンドは自己崩壊を始めていた。Bellがほとんどの曲を書き、Gardnerは1曲を提供したのみだった。バンド内の緊張状態は、意味のある音楽を書けなくさせてしまっていたのである。Bellによる『Castle On The Hill』はバンドの現状に対する悲しみの歌であり、Gardnerが自らをバンドから追放してしまったことに対する示唆を含んでいた。レコード会社の常識に照らすようにアルバムはリリースされ、1週間売られたが、その後回収された。このアルバムからのファーストシングル『Black Nite Crash』はMelody Makerによってシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれたものの、批評家とファンはこのアルバムを酷評し、レコードがリリースされる以前にバンドが解散したことに何の驚きも示さなかった。

解散以来、BellもGardnerも、グループの瓦解についてより思慮深くなっている。特にBellは、自分たち音楽スタイルを変える際に何のアイディアもなかったこと、若すぎて意固地になりすぎていたことと、瓦解の過程における自らの役割を認めているようだ。

1997~2001年:解散後
解散後、Andy BellはHurricane #1というバンドを結成したが、Gay Dadへの加入する機会を反故にしてOasisのベースプレイヤーとして参加するよう依頼された際、このバンドは恒久的に解散することとなった。Mark GardnerとLaurence Colbertは、短い期間ではあったが、The Animal Houseを結成した。Gardnerはソロアーティストとしても活動し、Colbertもまた、ボブ・ディランのトリビュートバンドであったThe Zimmermenというバンドでプレイした。Queraltはプロのミュージシャンからは引退したようで、オックスフォードのHabitat In Cumnorで小売店のマネージメントとして働いている姿を目撃されている。

2001年~:チャンネル4およびそれ以後
2001年10月16日、Rideの4人はチャンネル4に出演することに同意した。この撮影はSonic Youthのドキュメンタリーのもので、BellとGardner独特のフィードバックノイズ、ディストーションを効かせた30分にもわたるジャムセッションも同時に特集したものだった。この歌のレコーディングと、2本の短いサウンドチェックの様子は、『Coming Up For Air』として2002年にリリースされた。この限定版リリースのCDに対して多くの関心が寄せられたことから、バンドはさらなるリリースを考えるようになり、2002年の後半に、『OX4_The Best Of Ride』、未リリーストラック集である『Firing Blanks』、『Live Reading Festival 1992』から構成される3CDセットをリリースした。また2003年には、BBCのためのセッションを集めた『Wave』もリリースしている。DVDも制作を検討され、バンドのマネージャーであったDave Newtonはインターネットでのリリースとして、ライブパフォーマンスの映像をリリースするアイディアを披露している。

Mark Gardnerもソロキャリアを強力に推し進めている。2003年から2005年にかけてMarkは時にオックスフォードの旧友であるGoldrushのサポートを得ながら、スタジオフルアルバムを制作する資金のために集中的にツアーを実施した。ツアーの最中、Goldrushとの3曲入りEP(『Falling Out Into The Night』)とライブアルバム(『Acoustic Live at The Knitting Factory, New York City』)をリリース。また、2005年の大半を、彼はフランスのデュオRinoceroseとの共同作業に費やしている。2005年、Markのアルバム『These Beautiful Ghost』がUnited For Opportunityレーベルから北米でリリース、ほかの地域でも2006年前半でのリリースが期待されている。

バンドが新しいリリースを考えていることや、同席してインタビューを受けていることから察すると、バンド解散の主要因であったBellとGardnerの不仲は、すでに修復されているようだ。

しかしながら、バンドの再結成については、Bellは乗り気ではないことを明言している。しかし、Bellを含むメンバーは、再度一緒に音楽をやることを考えていないわけではないようだ。実際、BellとColbertは、Gardnerの初期のライブを見に行っており、2003年11月には、Bellの家があるStockholmにツアーに行った際、GardnerとBellはアコースティックセットを2夜披露している。

Loz Colbertもまた、ドラマーとしてではなくギタリストとしてだが、バンド活動に戻ってきたようだ。さまざまなプロジェクトでドラムもプレイしており、その中では、Jesus & Mary Chainのフロントマン、Jim Reidとのプロジェクトがもっとも有名である。2005年、Gardnerはフランスから動けなくなり、Truck Festivalで演奏をすることができなかったが、その際には、Colbertのバンドがその穴を埋めている。