THE ALFEE

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THE ALFEE プロフィール画像

THE ALFEEのバイオグラフィー

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1974年8月25日にデビューしたJ-POPバンド。
日本におけるプログレッシブ・ロックの先駆者である。
EMIミュージック・ジャパンのレーベル、EXPRESSとVirgin Music双方に同時に所属。
事務所はProject III(田辺エージェンシーのグループ会社。1985年3月30日設立)。

桜井賢(さくらい まさる・1955年1月20日 -、A型)(埼玉県秩父市(旧:荒川村)出身)
ボーカル、ベース、コーラス

坂崎幸之助(さかざき こうのすけ・1954年4月15日 -、O型)(東京都墨田区出身)本名・坂崎幸二(さかざき こうじ)。
ボーカル、アコースティックギター(6弦・12弦・ガット)、マンドリン、パーカッション、ブルースハープ、エレキギター(フルアコースティックギター)、コーラス

高見沢俊彦(たかみざわ としひこ・1954年4月17日 -、A型 )(埼玉県蕨市出身)
ボーカル、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、コーラス、リーダー

元々は明治学院高校在学生を中心としたコンフィデンスというグループだったが、メンバーの入れ替わりを経て、コンフィデンスにいた桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、明治学院高校にいたものの、別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫(G)の四人でデビュー。1975年頃三宅が脱退し三人になり、現在に至る。

アイドルフォークバンドAlfieとしてデビュー。
レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲でAlfeeとして再デビュー。
元来はフォークグループだったが、アルバム「doubt,」以降、ロック的(時にはヘヴィメタルやプログレッシブ・ロック)あるいはダンスミュージックなどの要素も取り入れて融合させている点が特徴である。
アルバム「夢幻の果てに」のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。

1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEからTHE ALFEEに変更。
以降ライブ活動時にはサポートメンバーの吉田太郎(dr)、ただすけ(key)、元サポートメンバーの長谷川浩二(Ds)、山石敬之(Key)、菊地圭介(Key)なども含めて「バンド」THE ALFEEとする時期があり、CD・レコードのジャケット・歌詞カードにもTHE ALFEEとして5人が長い間列挙されていたが、彼ら以外のミュージシャンもサポートに付くこともあり最近ではあくまでサポートミュージシャンであると区別されている。

1983年の「メリーアン」のヒット以降、20年以上に渡り全てのシングルをチャートインさせるなどコンスタントなセールスを維持している(詳しくは後述)。

1980年代はTVのヒットチャート番組やCMソング、1990年代以降はバラエティ番組に多数出演している。
特色 [編集]

歌メロを重視のいわゆる歌謡ロックであるが、インパクトの強いイントロなどインストゥルメントへのこだわりも強い。
ギター一本のシンプルなスタイルから、ギターやシンセサイザー等を幾重にも重ねる濃厚なスタイルまでアレンジは幅広い。

ルーツとされるのは1960〜70年代の洋・邦楽ロック&フォークソングであるが、時にはシンセサイザーの多用やギター奏法など、その時代時代の音楽、例えばハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシブロック、ニューミュージック等からの影響も伺える。

さらにキング・クリムゾンやYES、エマーソン、レイク&パーマー、ピンク・フロイド等のプログレッシブロックからの影響(特に高見沢の影響が多分に大きいとされる)による変拍子を多用する所も特筆される。これはJ-POPアーティストとしては稀有な存在である。

メンバー3人が均等にリードヴォーカルをとり、曲毎(曲によってはパート毎)にリードヴォーカルを変える。
三人三様の個性的な声質によるパート分けと、それによる重厚なコーラスが特徴。コーラスが入らない曲はほんのわずかであり、これらのコーラス重視のスタイルは、サイモン&ガーファンクルやイーグルス、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)、クイーン等の影響があると思われる。

音楽性においては上記のような多彩な音楽性を備え、それでいてポップスの要点をしっかり抑えている点が彼らの持ち味であり、他のJ-POPアーティストとは一線を画すところである。

THE ALFEE自体及び、メンバー各々に異業種とのコラボレーションを行う機会が多い。ジャン・ポール・ゴルチエとの共同企画によるコンサートやエルメスによるアルバム「orb」のジャケットのアートワーク製作等、アパレル業種とのコラボレーションや、レーシングドライバーの野田英樹や、1997、1998年のル・マン24時間レースに日産自動車から参戦した星野一義へのパーソナルスポンサー等を務めている。野田英樹には応援歌「Wild Bahn!」を書き下ろしている。

明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモンとガーファンクル等のコピーをしていた。同時期に高見沢は別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル等をコピー演奏していた。

ある日コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストにて、坂崎と出会う。坂崎は別のグループを結成して活動するが、その後坂崎のグループが解散したのを機に坂崎はコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場。小室等に注目され、デビューのきっかけをつかむ。

桜井、坂崎、高見沢、三宅の4人は明治学院大学に進学した。また、それぞれが別の大学へ進学したことによりロックバンドを解散していた高見沢を坂崎が引き入れ、四人になった。

当初は全員が作詞・作曲していたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢が作っている。