The Cure

ジャンル:
The Cure プロフィール画像

The Cureのバイオグラフィー

ザ・キュアー (The Cure) は、1978年に結成された英国出身のロックバンド。

1978年、前身バンドとなるイージー・キュアーを母体として、ロバート・スミス、マイケル・デンプシー、ローレンス・トルハーストの三人で結成された。 翌1979年にシングル「Killing An Arab」でフィクション・レコードよりデビュー。初期はパンクを色濃く残すニューウェーブバンドであったが、メンバーの入れ替わりとともに音楽性も変遷し、現在はゴシックやオルタナティブに分類される。その活動歴は四半世紀を越えており、現在の音楽シーンの中でもその影響を受けたと公言するバンドは多い。

第1期(1978~1979)
ポストパンク期にリリースされたデビューアルバム「Three Imaginary Boys」は、シンプルながらもクールで捻くれたギターサウンドが特徴的で、記号化されたスリーヴデザインと相まって、すでに独自の世界観を築き上げていた。 また、ロバートはスージー&ザ・バンシーズの全英ツアーのサポートギタリストとしてステージに上がったりもした。

第2期(1980~1982)
この時期のキュアーは、無駄な音を排除した、研ぎ澄まされたサウンドを追求していた。サイモン・ギャラップとマシュー・ハートリーの二人を加えて作られた2ndアルバム「Seventeen Seconds」は、初めて全英トップ20入りした「A Forest」やライヴでのファンの合唱でおなじみの「Play For Today」が収録されている。
その後「Pornography」にて、リズムマシンとシンセサイザーを大胆に導入し、ヘヴィーでダークな極彩色のサイケデリック・サウンドへと変貌を遂げた。そして極度の緊張の中で制作されたためにメンバー間の仲は最悪なものとなり、ツアー中にロバートとサイモンは大喧嘩をして、サイモンはバンドを去り、ロバートは活動の休止を決意した。 日本でのデビュー作はこの「Pornography」であり、各楽曲に付けられた奇抜な邦題は当時のキュアーのパブリック・イメージを物語っているといえよう。

第3期(1983~1984)
この時期、ロバートはスージー&ザ・バンシーズとキュアーの活動を掛け持ちしており、度々解散をちらつかせていたが、結局キュアーをとった。スージー&ザ・バンシーズでは、ロバートはパーマネントなギタリストとしてアルバム(「Hyaena」)やツアーへの参加を行っている。(83年のバンシーズの来日公演にも参加。) また、バンシーズのベーシスト・スティーヴ・セヴェリンとのプロジェクトザ・グローヴの活動も並行して行い、アルバム「Blue Sunshine」が制作された。一方キュアーでは、フィクション・レコードのオーナー、クリス・パリーの勧めにより制作されたファンタジー三部作と呼ばれる三枚のシングル(「Let's Go To Bed」「The Walk」「The Lovecats」)がスマッシュ・ヒットを記録し、日本発の企画盤(「Japanese Whispers」)が作られたりもした。 この三部作はロバートを「Pornography」の悪夢から解放するのに貢献するのだが、昔からのファンの一部には変わり果てたポップなキュアーの姿に嘆息したと人もいたという。 5th「The Top」リリース後の1984年10月には中野サンプラザと大阪サンケイホールにて初来日公演(計3回公演)が行われている。

第4期(1985~1989)
フィルの代わりにサイモンが復帰、またアンディの代わりとしてボリス・ウィリアムスが参加し、ロバート、ロル、ポール、サイモン、ボリスというキュアーの黄金期のラインナップがここに勢ぞろいする。 この面子で制作された6th「The Head On The Door」は新生キュアーの躍動感と充実感が感じられる力作で、バンドの世界進出の足がかりとなる。さらに続いてリリースされた7th「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」はキュアーというバンドが持つ魅力と可能性を凝縮したバラエティー溢れる内容で、世界中で熱狂的なヒットを記録、キュアーを英国のカルト・バンドから世界的なロック・バンドへと推し進めることになった。 さらにこの時期に二度目の来日を果たしている。しかし、公演はなく、いくつかのTV番組に出演するにとどまった。

8th「Disintegration」は原点回帰ともいえる、かつてのキュアーを彷彿とさせるような陰鬱とした内容で、所謂商業的路線からは逸脱していた。レコード会社の心配をよそに「Disintegration」は全世界で300万枚を売り上げる大ヒットを記録、特にアメリカ大陸での人気が爆発し、キュアーをスタジアム級のモンスターバンドへと昇華させることとなった。 しかし長期に渡るツアーはメンバーを疲弊させ、ロバートはツアー最終日・ロンドンのウェンブリー・アリーナで解散を匂わせる発言をして、ファンにキュアーの終焉を強く刻み付けた。

第5期(1990~1993)
誰もがキュアーは終わったと思っていたが、ロバートは何事もなかったようにキュアーの活動を再開させる。 ギター・ローディ出身のペリー・バモンテを新たに加え、初心に帰るべくライブハウスツアーを精力的に行った。 これがバンドに好影響をもたらしたか、9thアルバム「Wish」は全英1位、全米2位を記録する大ヒットになり、キュアーは名実共にトップ・バンドとなる。

第6期(1994~2000)
ポールとボリスが脱退し、黄金期は終焉を迎える。ロジャー・オドネルを復帰させ、ジェイソン・クーパーをオーディションを経て加入させるが、かつてのバンドらしさはなく、ロバートwith his friends的な印象は否めなくなる。 この面子での初アルバム10th「Wild Mood Swings」が商業的に失敗すると、ロバートは徐々にキュアーに対する意欲を失ってゆき、次作11th「Bloodflowsers」リリース時には公式に解散を宣言。レコード会社もラストアルバムとして売り出すが、売り上げ好調に気を良くしたロバートは解散宣言を無かったことにした。また、度々来日を示唆する発言を行うが、実現することは無く、日本のファンを落胆させた。

第7期(2001~2004)
これまでの活動の集大成ともいえる、暗黒三部作(「Pornography」「Disintegration」「Bloodflowers」)を全曲収録したライブDVD「Trilogy」をリリースしたロバートは、いよいよ念願のソロ活動を行おうとしていたが、SlipknotやKornで高名なプロデューサーRoss Robinsonに説得され、通算12枚目のアルバムの制作を決意。こうして完成したアルバムは結成26年目にして初のセルフタイトルが冠されたが、皮肉にもこれが10年続いた史上最長ラインナップの最後のアルバムとなった。

第8期(2005~現在)
10年在籍したロジャーとペリーを脱退させ、ポールを再加入させたキュアーは、ヨーロッパのフェスティバルを回りながら、2008年リリース予定の次作のレコーディングを断続的に続けている。また、1984年以来23年ぶりに来日を果たし、フジロックフェスティバル2007にて堂々たるパフォーマンスを披露。長年待ち焦がれた日本のファンを狂喜させた。