ZAZEN BOYS

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    半透明少女関係

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    COUNT DOWN JAPANでのLIVE映像。 このライブみてたなぁ。 この曲の持っているパワーはあまりにも凄い! 幕張メッセLIVE時のお決まりのフレーズもたまらん(笑)

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    ZAZEN BOYS - COLD BEAT

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    すとーりーず発売記念、ZAZEN BOYSを見直そう強化週間中! COLD BEATは非常にしびれる!! 久しぶりにライブで見たい!

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ZAZEN BOYSのバイオグラフィー

ZAZEN BOYS(ザゼン・ボーイズ)は、日本のロックバンドである。所属レーベルはメンバーの向井秀徳自ら立ち上げた「MATSURI STUDIO」。

そもそもの成り立ちは、女性シンガーのhalが2001年に発表したアルバム『ブルー』に収録されている『6階の少女』という曲をレコーディングするために、当時ナンバーガールのメンバーであった向井秀徳と54-71のメンバーが、halのバックバンドという形で結成したものである(後述の新生ZAZEN BOYS結成の際に向井は、54-71のメンバーと一席を設け、話を通したと言われている)。

ナンバーガール解散後、向井秀徳が自らの求める音楽を実行するために、ナンバーガール時代からの盟友であるドラム、アヒト・イナザワと共に結成。まずこの二人にSEXY JOEなる謎のボーカリスト(その正体はくるりの岸田繁)を迎えた構成で、ローリング・ストーンズのトリビュート盤『IT'S ONLY ROCK'N ROLL (BUT WE LIKE IT LOVE)』に楽曲を提供。その後サポートメンバーとして、ベースに日向秀和(当時ART-SCHOOL、のちにストレイテナー加入)、ギターに吉兼聡(ルミナスオレンジサポートメンバー/元Kicking the Lionメンバー)を迎え本格的な活動を開始する。SEXY JOEの一時的な参加にみられるように、当初は向井とイナザワ以外のメンバーは流動的に変わる予定だったが、日向、吉兼とのセッションを経て『何か』を感じた向井はこのメンバーを固定とした。(後述)

向井はZAZEN BOYSの事を「法被を着たレッド・ツェッペリン」と例えている。ただし、これはレッド・ツェッペリンの音楽スタイルの模倣という意味ではなく、ツェッペリンの如く、それぞれの個性の集合体であるというバンドの概念を言い表すために用いた言葉である。

ちなみに、当時ART-SCHOOLのベーシストだった日向を向井が誘ったきっかけは、ダブ・バンドDRY&HEAVYのライブをたまたま一緒に見ていた際、「自分さ、あんくらい出せんの?」と向井が聞き、「出せますよ」と日向が答えたことだと言われている。

2003年8月15日に開催されたライジング・サン・ロックフェスティバルで初のライブを行う。その後日向、吉兼が正式に加入。

『ZAZEN BOYS II』のリリース前に、ネットラジオ「ZAZEN BO放送局」(全4回)を公式HPで配信。

2004年12月30日のCOUNTDOWN JAPAN04/05のライブをもってアヒト・イナザワが脱退。

2005年1月には、ドラムに松下敦(元ズボンズメンバー・Buffalo Daughterサポートメンバー)が加入。同年4月、新宿LOFTにて松下敦の加入後初ライブを行う。その後、大阪で行われたライブの音源を自身の公式HPで無料配信、Apple Storeでのライブ音源を向井自らMIXしiTMSで販売するなど、新しい形の流通スタイルにも積極的に挑戦している。

向井と親交のある宮藤官九郎の初監督映画、『真夜中の弥次さん喜多さん』では音楽を担当、出演もしている。

2006年8月18日のライジング・サン・ロックフェスティバルでは、椎名林檎がゲストボーカルとして登場した。

2007年2月7日に、向井の日記にて日向の脱退が発表された。様々なバンドのメンバーである日向と時間の折り合いが付きにくくなった事で、向井が脱退するように告げたとされている。

2007年3月、ベースに吉田一郎(元12939dbメンバー)が加入。同年6月16日、日比谷野外音楽堂にて吉田一郎の加入後初ライブを行った。